ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

眠れない夜...Sleepless nights

その日は、前々からお約束をしていた会議が、駒沢大学近くの事務所で開かれました。水曜日までは熊本で、その夜に、神戸経由で新大阪に入り、木曜日は、京都の和束(わたば)というところに、海外にお茶を輸出することに熱心な「京都おぶぶ茶苑」の松本さんに会いに行きました。険しい山の斜面にある茶畑を見せていただき、今までで最も美味しかったお茶をいただき、今後のコラボレーションについて話をして、その晩、千葉に戻りました。そして、世田谷での打ち合わせに行ったのです。午後2時のお約束が、私が道を迷ってしまったために、少し遅れてしまいました。名刺を交わして、話を始めたところに......................大きな揺れが来ました。あっ、揺れていますね。ああ、これは凄い。4人とも席を立って「どうしたらいいのでしょう」「どこに逃げるのがいいのでしょうね」と、なすすべもなく、揺れの中で思案をしていたのです。テレビをつけましょうか。と、なぜ、この地震が起きたのか理由が分かったのです。


テレビを観ている間にも、揺れが続きます。しかし、我々4人は、テレビの画像に釘づけになってしまいました。あの、津波。あの大きな波が、人も車も、町も呑み込んでしまう映像です。あっ、そんなところにいちゃだめ。テレビに叫びます。どうしてそんなところにいるの?ライブで観るその迫力は、私たちの心を奪ってしまいました。もちろん、仕事どころではなりません。次々に入るニュースに、とりあえず、4人とも、家族への電話を。私はと言えば、家族はオーストラリアですが、仙台には弟がいます。弟の携帯。義妹と甥の携帯。どれもつながりません。千葉に奥さんがいるという方。神奈川にご家族がいる方。何度も何ども電話をして、つながらず、4人ともに絶望的になりました。私は、今回ほど、iPhone にしてよかったと思ったことはありません。弟から、メールが入ったのです。あっ、どうしてインターネットは繋がるのだろう。しかし、3回目で、今度は携帯メールになりました。PCのバッテリーがもうないというのです。電気も水もない。トイレは、近くの川から水を汲んで使っている................と。


もうかれこれ、午後7時ごろになったでしょうか。会議室を貸してくれた会社では、私が、既に千葉に帰る足を失くしていることを知って、会社の人が全員で私のホテルを探してくれました。「東京都内のホテルは既にありません。あっても、危険だと言うことで宿泊客をとりません」ぼーっとする私。しかし、藤沢に家のあるメインキャストの上野さんが「真理子さんのホテルが、大磯にとれましたから、僕が連れていきます」と言ってくれたのです。彼の家は藤沢。事務所を出たのがかれこれ8時近く。道路はどこも一杯で、大磯のプリンスホテルに着いたのは、かれこれ11時を回る遅い時間でした。私の前に、10人位、会社帰りのような方々がチェックインをしていました。食事をするところはなく、地下にあるという冷凍食品の自販機から、おにぎりを買って部屋にいきました。


部屋は............何と、海に面したビーチフロント。私の身体は凍りつきました。午後に見た映像が、部屋から見える風景と重なったのです。穏やかな海。煌々と輝くムーン。私は、とりあえず、風呂に入ったものの、ゆかたに着替えることができずに、また洋服を着ました。フロントに電話。「何かあったら、誰か誘導してくれるのですか」「はい、その時には」結構のんびりした口調。私はイラついて、部屋を出て、自分で非常口を探しました。一晩中、テレビをつけたままにして.......................次々に報道される悲しいニュースを観ていました。少しだけ仮眠しかも知れません。でも、何度も何度もおきました。おきて、速報を観ました。そして............朝がきました.......................カーテンを開けると、そこには、美しい大磯のビーチが輝いていました。私は、気分が悪く、倒れそうになりました。あの海が..........。


ホテルの朝食の場にいくと、50人ぐらいの人が、バイキングを食べていました。隣のおじさんが「一緒のツアーの人ですよね」と聞いてきました。「いいえ。皆さんは?」「大阪から来たんです。千葉の菜の花を観るツアーで」「この先どうされるのですか」「いやあ、キャンセルですわ」朝食を食べ、タクシーで大磯の駅に行きます。プリンスホテルと言うものの、大磯のホテルはかなり古く、寂れていました。シーズンオフだったせいかも知れません。大磯の駅も小さくて、あまり人影がありませんでした。東海道線で東京に移動。東京から、山手線で上野に行きましたが..................驚きました。ホームからこぼれるほどの人、何千人だと思います.............が常磐線に乗るために並んでいました。駅の外まで並んでいるのです。そこで、私は、地下鉄に乗り換え、北千住に.................。そしてラッキーにもそこから常磐線に乗ることができました。電車に乗っている人たちは、疲労の色を濃くしていました。立って寝ている人もいました................私もみんなと、同じように疲労困憊していました。


私は、今、精神的に、かなり動揺しています。涙が出てきて止まりません。DEPRESSIONかも知れません。30年も外国にいて、日本に戻り、今まで会ったことのない、恐怖に出会った。少しでも揺れると、心臓がドキドキしてきます。怖くて怖くてどうにもなりません。喘息も出始めています。昨日も、寝ようと思って、睡眠薬を買ってきましたが、寝ているうちに地震が来たら..............と思うと、2錠飲まなければならないのに、1錠しか飲みませんでした。だからでしょうか。眠れませんでした。もちろん、一晩中揺れていましたから。一旦着たパジャマを抜いで、また洋服に着替えました。テレビをつけて、地震情報を観てしまいました。結局は、ほとんど寝ていません。


あっ、これではだめだ。これでは続かない。病気になってしまう。環境の相違、地震の恐怖、そして、何よりも、亡くなった方々に対する深い悲しみ。これが私を包んでいて、今、私は、かなり参っています。これを解決するために、今日は、まず買い物のために、外に出ました。まずは、非常のときに一緒に逃げるリュックサックを買ってきました。またホームステイのマザーにお願いして、何かあった時のための避難場所を教えてもらいました。ここは、大変よく出来ていて、飲み水や非常用トイレが多数確保されていました。「何かあって、はぐれたら、ここに集まりましょう」とホームステイマザー。ちょっと安心しました。それから、英語の新聞を買ってきたこと。CNNを観はじめたこと。英語の環境に、自分を置くことにしました。日本語だと、ぐさりぐさり突き刺さってきてかなりつらい。それから、音楽を聴くことにしました。チョコレートも買ってきて、今、食べています。なにかしないと、私は、病気になってしまう。自分でこの困難を乗り越えることにしました。私が置かれている環境など、今、地震と津波の現場で戦っている人々に比べれば、屁のようなものだ。


「近所の人がね、犬に餌をやらなきゃって、戻ったまま帰ってこないんです」オーストラリアでも、ブッシュファイアーの時に、自分の馬たちを逃がそうと戻って亡くなった人たちがいます。涙が二重に溢れてきそうです。ご心配のメールをいただいた方々。ご心配ありがとうございます。これは、皆で越えなければならない大きな試練です。皆で助け合って、がんばりましょう。 さて、今夜は、少し眠れるといいのですが。
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コメント

元気出してくださ。 自分の知り合いも仙台にいて、地震当初は連絡が取れず
心配しましたが、その後無事が確認できホッとしました。

今回の事で朝から晩までニュースを見ていて、56カ国の国が日本に対して
支援を申し出ていると言うニュースを見て、胸が熱くなりました。

いずれにしても、今後自分がどうすれば良いか、何が出来るかを考えて
考え行動していこうと思ってます。

仙台の弟一家

秀人さん、今、やっと仙台の甥っ子と携帯がつながりました。今、市内に出て、食糧を探していると言っていました。電気も水道もまだないけれど、水はまだあるし、心配しないように逆に励まされました。被災地で頑張っている人たちもいるのに、私のようにラッキーな人が泣いてちゃ駄目だよね。しっかしします。

  • 2011/03/13(日) 19:00:52 |
  • URL |
  • MARIKO #-
  • [ 編集 ]

電気がつく(仙台)

仙台の弟。
今、やっと我が家に電気が開通。
10数年前の宮城沖地震を超える地震だった。
水道、電気、ガスがすぐダメ。携帯も通じない。かろうじて携帯メールがOKのときもあったが、電池の携帯も切れ外部との通信は途絶えた。
車についている携帯の充電装置、それからワンセグ付きナビ、充電とガソリンが切れるかとの勝負。
便所を流す水が切れ、広瀬川に川の水を汲みに。
河原では若い夫婦?が河原の石でかまどをつくり食事をつくっていた。
近所に避難所はあったが、条件は同じで、多少の水と炊き出しがあるくらい。
多くは皆家の中でじっとしていた人の方が多かったろう。

ワンセグからは全国向けのTV放送。
被災者向けの細かな情報はなにもない。
総理や官房長官の言葉より、県知事、仙台市長の顔が出てこないのはどうして?
docomoは儲けてているのだから、もっとインフラの整備をしておくべきだったと怒りを感じながらの三日間。
数キロ、十数キロ先には津波被害の現場、海岸には200体以上の死体が手つかずのまま放置されている。
本当の被災者とは言えないオレだが、あらためて、津波被害者とかろうじて逃げ延びられた人たちを案じずにはいられない。
(仙台から)

  • 2011/03/14(月) 01:29:04 |
  • URL |
  • otooto #PdYV71wc
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そうかよかった

そうか、よかった。青葉区に少しずつ電気がついたとツイッターがあったので、あなたのところももうすぐかと思いました。よかった。あなたのいうように、知事や市長は、こっちのテレビでも出ません。全国放送は、毎日同じ画像を流すばかり。今回ほどコミュニティーの意味が問われたことはないかも知れませんね。でも、とりあえず、よかった。食べ物を送りたいけれど、まだ駄目なようですね。千葉も、停電が始まります。ガソリンも買えません。電車が止まっているところも出てきました。東京の友人とスカイプしたら、大田区ですが、スーパーに米が全くないと言っていました。今朝も余震がありますが、そっちはどうですか。

  • 2011/03/14(月) 11:29:18 |
  • URL |
  • MARIKO #-
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