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ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

87歳の誕生日

シンガポール経由でメルボルンに、土曜日着きました。到着時のメルボルンは摂氏5度。こんなに寒いとは思いませんでしたが、「雨が降っているよ」というニュースが入ったので、成田のユニクロで、1900円のジャンパーを買いました。だから、空港ではよかったのですが、実は、空港で主人と娘と落ち合い、私は、主人の母の家に行って、そこで、着替えてから、コーフィールドカップの観戦にコーフィールド競馬場にという算段でした。でも、私が持っているのは、薄手のジャケットだけ。主人と相談して、何とか、ジャケットの中に着るジャンパー(オーストラリアではセーターのこと)を買おうとあっちこっちに探しましたがありません。娘が、デパートで探してくれたのは、薄手のセーター。これじゃだめかも..........と思いながら、それに、スカーフを持ってコーフィールド競馬場にに出かけました。途中で雨も降ってきて「おおさむ」

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メルボルン空港で新聞を買ったら、一面にコーフィールド競馬場の写真。バックに馬がいるものの、前には「あひる」どうやら、メルボルンではずっと雨が降り続けていて、一時コーフィールドカップの取り消しのうわさもあったとか。あひるは、競馬場の水たまりで嬉しそうに泳いでいます。そうか、そんなに悪い馬場で競馬をするんだ。レース前に、野中調教師に聞いたら「外枠をひきましたが、おそらく内側の方がドロドロでしょうから、かえって、外枠はいいかもしれません」と言っていたので、そうかも知れないと思いました。でも、結果は残念ながら12着。一時いいところまでつけたと思ったのですが、あとで、騎手の藤田大先生にお話をお伺いしたら、トーカイトリックは何度も足をすべらせそうになり、立て直している間に、他の馬に前に出られてしまったって..........オッズが60倍ぐらいになっていましたから、当たればでかいなと思って、なけなしのお金をかけました。でまた、失くしました。トほほ。

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さて、日曜日は、主人のお母さんと、うちのお代官様(下の娘)の合同誕生日がありました。彼女たちは同じ日に生まれています。(いえ、私が同じ日に産んだんです。えへん)オーストラリアでは21歳になると、大きな誕生パーティをします。今はオーストラリアでは、18歳で成人ですが、昔は21歳で成人だったそうで、そのなごりだということです。お金のあるうちでは、100人も招待客を呼び、何万ドルも使って大きなパーティーをするのがしきたり。うちも、お金があったら、そうしたと思いますが、できませんでした。というより、義母が一緒にしましょうといって、彼女の87歳の誕生日と一緒に、メルボルンで合同誕生日を計画してくれたのです。メルボルンの義弟の家に母のひ孫たちもいれて30人ほど集まりました。mum++great+grant+kids_convert_20101018200436.jpg
オージーバーベキュー。また、それぞれが、サラダや甘いものを持って集まりました。87歳の母は、今年4回も病院に入り、普段は大変インデペンデントな人なのですが、かなり気弱になっていました。それでも、日曜日には、朝早く起きて、サラダを作りました。すごいでしょう。意気ごみ。cake_convert_20101018203417.jpg


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私たちがシドニーにいて、なかなかメルボルンにいけないので、このところ母は、とても心配していたようです。逢えないままに死んでしまうのではないかと...........母はこんなことを言いました。「今回は、兄弟全員に集まって欲しかったの。私が死ぬ前にね」主人は、それに対して「だから、俺たちこなかったんだ」と返しました。つまり、皆が集まったら、彼女の願いがかなって死んでしまうだろう.........ということなのです。ところが、今回は、長女のジャンが病気で来ることができませんでした。今日、彼女から電話。ごめんね、いけなくて。でも、私は、「おかげで、お母さんの寿命が延びたわ」と、その裏話をしました。

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「まあ、あまり長くはないわね」と義母は何度も言います。今、リタイアメントヴィレッジに住んでいます。一軒家でバリアフリー。彼女は寝ているということがなく、起きていると必ず何かしています。時間があれば、近所の人のために、料理を作ってあげたり、縫物をしたり、それをチャリティーに配ったりしています。今年は、病気がちで、それができなかったことが、彼女の自信をより一層失くしていました。弟との家までいく間に、義母は「この前、葬儀屋に行ったのよ」と、何気なく言いました。そしたら、葬儀屋が「誰の葬儀をご希望ですか」と聞くので、「私の葬儀のブッキングに来たのです」と言ったら、葬儀屋に「普通は誰かと一緒に来てもらうのですが」と言われたと言っていました。とりあえず「6000ドル払えば、何かあったら、誰かをお宅にお邪魔させるkと尾ができるから」と言われたので、そうですかと払ってきたのだと言っていました。私も、主人も、娘も、なんといっていいかわかりませんでした。

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母の家から門まで、短い坂があります。その坂を彼女が登りきれなくなったのです。途中で休み休み登ります。義母は「まったくねえ、だらしがなくなったわねえ。こんな坂が登れないのだから」って、自分に腹を立てるように言います。それから、私にも「わたしねえ。 I am on the way out.......つまり、もうすぐ行ってしまうと思うわ」と言いました。彼女からこの言葉を聞くのは二度目です。お母さん、87歳になんか見えないわ。77歳って言った方がいいんじゃないと私が言うと、「私は、87歳に感じるわ。どんなに若く見えても、私はもう87歳だわ」と、断固として「お世辞」を受け取りません。私はふと、思いました。私が87歳になったら、彼女ののように、こんなに断固として、現実を見つめて行くことができるだろうか。それより87歳まで、彼女のように、自分の生き方を通して、人のために尽くしていけるだろうかと...............


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メルボルン空港に行く間、黒い雲間から、光が見えました。まだまだ87歳のお母さんが長生きしてくれますように、お願いしました。mel+sky_convert_20101018203756.jpg
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コメント

Everybody goes that way, but

毅然としたお母様ね。
私の知人で、イギリスにいる人のおばあ様が、認知症なのに、やはりそのように、一人でいつも身じまいはきちんとして自立して暮らしておられるときいたことがあります。日本の人ってそれに比べると、どうしても他者依存型に見えますね。でも、山本周五郎の小説とか、山川菊栄の随想とかで、昔の、特に武家の女性たちって、すごく毅然としていたように思えるのですけれど。

この年になると、すでに、大好きな人達を何人ももうあちら側に送りました。悲しい、ともちろん思うけれど、なんかね、ああ、でも、あちら側に行ったら、あの大好きな人達とまた会える、みたいな感じもあるのよね。
もっとも、この年と言ってもまだまだ若輩ものだし、いろいろとやりたいこともあるし、お互い、身体に気をつけて、毎日を悔いなく過ごすように楽しくがんばりませう!

  • 2010/10/20(水) 08:14:28 |
  • URL |
  • FUSAKO #Kbxb6NTI
  • [ 編集 ]

若輩

いや、そうだ。また若輩だ。87歳に比べれば。そういえば、長岡照子が102歳で亡くなったようですね。彼女の宮沢賢治の語りは私のウオークマンに入っていて.......すぐ眠ってしまうけれど......彼女の岩手なまりは大好きでした。私の耳に彼女の声が残っている....ということは、彼女は生きているんだと思います。それにしても、「あちら」ってどんなところなのでしょうねえ。

  • 2010/10/20(水) 14:28:52 |
  • URL |
  • MARIKO #-
  • [ 編集 ]

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