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ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

戒厳令の夜

なぜ、思い出したのか定かではありません。でも、思い出しました。アルゼンチンのことを。私は、娘がまだ1歳と8ヶ月の頃、娘の父親を追って、アルゼンチンに行きました。娘の父親は、ベネズエラの外交官で、当時結婚していましたが、妻は病気で行く末が短いと言っていました。身体の悪い妻がいるのに、不倫をするのは本当に申し訳ないと思っていましたが、恋愛というのはどうにもなりません。恋は、罪の意識を乗り越えて、本当に大胆なことをさせてしまうものです。彼は、当時、私と20歳も年齢が離れていました。既に何度も結婚しており、今の私だったら、絶対関わらない男性ですが、本当に、私は向こう見ずだったのだと思います。彼に、妻が余命幾何もない、残された子供がかわいそうだから、彼らの母親になってくれといわれて、その子供たちには当時、東京で紹介されていました。その言葉を信じて、未婚で娘を産み、アルゼンチンまで飛んだのです。その頃は、VARIGブラジル航空で、ロスと、リマとリオ経由でブエノスアイレスに飛びました。何と32時間。娘は一度も泣きませんでした。

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当時のアルゼンチンは、政情が悪く、軍事政権で、生活も苦しく、人々の心は鬱蒼としていました。娘の行っていた幼稚園では、毎朝、軍歌のようなものが歌われ、アルゼンチン国旗を掲げていました。確か、その後、英国と戦争の種になったマルビナス(フォークランドアイランド)の歌も歌っていたと思います。ある晩、軍事政権に反対する大きなデモがありました。私たちは、CASA ROSADA、つまりピンクの家と呼ばれる大統領官邸近くのアパートに住んでいました。アパートと言っても、フロア全部がアパートなのです。ブエノスアイレスの大きなアパートは皆そんな感じでした。家一軒分の大きさです。使用人の入る門が別にあって、アパートにはポルテロと呼ばれる門番一家が住んで、管理をしていました。当時、ベネズエラの総領事だった彼は、総領事官邸に住んでおり、私たちは、そのアパート暮らし。待てど暮らせど、離婚も妻の死亡のニュースもありませんでした。市民に鉄砲を向ける兵士たち。デスアパレシードと呼ばれ、兵士たちに誘拐されてしまった人たちの影が、舗道やバスの停留場に描いてありました。白い影で、そこに、誘拐された当時の年齢や名前が書いてあったのです。白い影たちはまるで幽霊のようでした。

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大統領官邸に向かって、大きなデモ行進。そこに、軍部が用意した武装車や装甲車が待ち構えています。ガス弾を放たれ、散り散りバラバラに逃げる市民たち。兵隊たちに次々と連れられているでも隊。私は8階の窓から、震えながら見ていました。道路の両脇にある高層のアパートから、兵士たちへの侮蔑の声がこだまのように響きます。彼は、その晩、家に帰るといいました。毎日、私たちに会いに来ていましたが、必ず家に帰ります。しかし、その晩、私は、彼に帰って欲しくなかったのです。危険だと思いました。しかし、彼は深夜、無理やり帰りました。あのときの、敗北感。戒厳令の夜。

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娘とオーストラリアにやってきてから既に、24年が経っています。その間、彼が娘と私に書いてきた手紙は最初の頃だけでした。あとは、金も手紙も無しのつぶて。でも、娘は、父親に会いたいのだろうか。彼は生きていれば、80歳になっているはずです。いつも、長生きの血統を誇っていましたが。最近、ウエッブで、彼の子供たち、つまり娘のハーフブラザーとシスターの居所が分かりました。
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