
母の日が近づいています。
先週母の日だと思った私は、
あまり期待していなかったにも関わらず、
娘達から、何の連絡もないことに
がっかりしていました。あとで、母の日は
今週の日曜日だと主人に聞いて、
なあんだ。バカと主人に笑わました。
★
私の母。
いつも思うことですが、私はあの母に負うところが
大変多いのです。でも、その母を、私は
あまり大切にしませんでした。母の日に、
彼女に何をしてあげただろうと考えて
みても、何も浮かんできません。
母からもらったものが多いのに
私は彼女に何もしてあげられなかった。
★
母は、ずっと、ワーキングマザーでした。
小学校の先生をしていました。
他の子供の面倒はみるのに、
私は、田舎もんの、おばあちゃんに預けられて...
と、子供の頃は寂しい思いがありました。
なのに、その私が、後年、娘達を人に預けて
仕事に専念したのは、運命のいたずら?
★
母は、いつも人のことを、そして人のために尽くした人でした。
弟が小さい頃、彼を胸に抱いてこんなことを言っていました。
「弁護士になってほしいわ。弁護士になって、
弱い人を助けて欲しい」。
弟は弁護士にはなりませんでしたが、いつも、人を助ける
心の美しい人間になりました。
彼女が、教員の学校を出てすぐのことだったといいます。
新進気鋭の小学校教師。と、教師のストがあり、社会正義に
燃える若い彼女が、そのストに出ようとすると....
やはり、小学校に勤務。校長をしていた祖父から、
「お前は、生徒を捨てていくのか」と問われ、
ストに参加しなかったのだと。母は言っていました。
今、自分のことだけ考える、あるいは、自分のことも
考えられない教師がいるかと思うと。何だかなさけなくなります。
★
母はいつも素敵にしていました。モダンでした。
8枚はぎのスカート。
素敵な色の組み合わせ。
素敵なハンドバッグに、アクセサリー。
とても素敵な母でした。
彼女は美人だといわれていて、
親戚からは、弟は母と似ているが、
「真理ちゃんは、お父さんにで、可哀想ね」と
言われていました。つまり、母は美人で
私はぶす。そんな母にちょっと嫉妬していたかも
知れません。でも、母は、私にも、いつも
素敵な洋服を着せてくれていました。
今でも守っている母の言葉。
「真理ちゃん、外国の人は、年をとるにしたがって
綺麗な色を着るのよ」。
★
彼女に連れていってもらった映画。
最初の洋画で覚えているのは、
サウンドオブミュージックのもとになった
「菩提樹」。他にもたくさんの映画に連れていって
もらいました。「予期せぬ出来事」エリザベス・テーラーと
リチャード・バートン。母はあの映画が好きでした。
もちろん、「哀愁」とか「終着駅」とか。
彼女はロマンチックな映画が好きでした。
「ハッピーエンドじゃないと嫌だわ」と言っていましけれど。
ロマンチックな映画は、ハッピーエンドじゃない場合が
多い。それどうして?
★
私は、30年前に国を出ているので、
晩年の母を、あまりよく知りません。
アルゼンチンから戻ったときに、
私の名前を忘れていた時には、
あの母がと愕然としました。
彼女は、何十年立っても、教え子の名前、教え子の成績を
忘れなかったのです。その母が、私の名前を忘れた。
それにしても、母は、素晴らしい教師でした。
★
あんまりしゃべらない、うちの主人がこんなことを言います。
「人は、誰かが思い出している限り死なないんだ」って。
だとすれば、母は、まだ生きているのです。
私が若かったときよりも、ずっと鮮明に、私の心の中で生きています。
人に優しくしなさい。人を裏切らないようにしなさい。
弱い人を助けなさい。彼女が教えてくれたことは、私の中で生きています。
その通りにできているかどうかは別にしても。
★
私は自分の娘達に何を残してあげられるのでしょうか。
心配です。
でも、お母さん。
私を産んでくれてありがとう。
本当にありがとう。
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