ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

母の日にむけて、私の母のこと。

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母の日が近づいています。
先週母の日だと思った私は、
あまり期待していなかったにも関わらず、
娘達から、何の連絡もないことに
がっかりしていました。あとで、母の日は
今週の日曜日だと主人に聞いて、
なあんだ。バカと主人に笑わました。


私の母。
いつも思うことですが、私はあの母に負うところが
大変多いのです。でも、その母を、私は
あまり大切にしませんでした。母の日に、
彼女に何をしてあげただろうと考えて
みても、何も浮かんできません。
母からもらったものが多いのに
私は彼女に何もしてあげられなかった。


母は、ずっと、ワーキングマザーでした。
小学校の先生をしていました。
他の子供の面倒はみるのに、
私は、田舎もんの、おばあちゃんに預けられて...
と、子供の頃は寂しい思いがありました。
なのに、その私が、後年、娘達を人に預けて
仕事に専念したのは、運命のいたずら?


母は、いつも人のことを、そして人のために尽くした人でした。
弟が小さい頃、彼を胸に抱いてこんなことを言っていました。
「弁護士になってほしいわ。弁護士になって、
弱い人を助けて欲しい」。
弟は弁護士にはなりませんでしたが、いつも、人を助ける
心の美しい人間になりました。
彼女が、教員の学校を出てすぐのことだったといいます。
新進気鋭の小学校教師。と、教師のストがあり、社会正義に
燃える若い彼女が、そのストに出ようとすると....
やはり、小学校に勤務。校長をしていた祖父から、
「お前は、生徒を捨てていくのか」と問われ、
ストに参加しなかったのだと。母は言っていました。
今、自分のことだけ考える、あるいは、自分のことも
考えられない教師がいるかと思うと。何だかなさけなくなります。


母はいつも素敵にしていました。モダンでした。
8枚はぎのスカート。
素敵な色の組み合わせ。
素敵なハンドバッグに、アクセサリー。
とても素敵な母でした。
彼女は美人だといわれていて、
親戚からは、弟は母と似ているが、
「真理ちゃんは、お父さんにで、可哀想ね」と
言われていました。つまり、母は美人で
私はぶす。そんな母にちょっと嫉妬していたかも
知れません。でも、母は、私にも、いつも
素敵な洋服を着せてくれていました。
今でも守っている母の言葉。
「真理ちゃん、外国の人は、年をとるにしたがって
綺麗な色を着るのよ」。


彼女に連れていってもらった映画。
最初の洋画で覚えているのは、
サウンドオブミュージックのもとになった
「菩提樹」。他にもたくさんの映画に連れていって
もらいました。「予期せぬ出来事」エリザベス・テーラーと
リチャード・バートン。母はあの映画が好きでした。
もちろん、「哀愁」とか「終着駅」とか。
彼女はロマンチックな映画が好きでした。
「ハッピーエンドじゃないと嫌だわ」と言っていましけれど。
ロマンチックな映画は、ハッピーエンドじゃない場合が
多い。それどうして?


私は、30年前に国を出ているので、
晩年の母を、あまりよく知りません。
アルゼンチンから戻ったときに、
私の名前を忘れていた時には、
あの母がと愕然としました。
彼女は、何十年立っても、教え子の名前、教え子の成績を
忘れなかったのです。その母が、私の名前を忘れた。
それにしても、母は、素晴らしい教師でした。


あんまりしゃべらない、うちの主人がこんなことを言います。
「人は、誰かが思い出している限り死なないんだ」って。
だとすれば、母は、まだ生きているのです。

私が若かったときよりも、ずっと鮮明に、私の心の中で生きています。

人に優しくしなさい。人を裏切らないようにしなさい。
弱い人を助けなさい。彼女が教えてくれたことは、私の中で生きています。
その通りにできているかどうかは別にしても。


私は自分の娘達に何を残してあげられるのでしょうか。
心配です。

でも、お母さん。
私を産んでくれてありがとう。
本当にありがとう。
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