ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

時........

私は、とくに宗教があるわけではありません。ただし、中学の時にキリスト教の中学に学んだので、聖書の言葉が、まだ頭の中に残っています。もう何年になるのでしょうか。50年にもなって、それでも、あの頃のことが思い出されます。あの頃は、キリスト教という環境の中で、こんなことを教わったと思います。人生の成功は「心の平安の」の中にあるのだと。とはいいながら、最近、色々考えると、私の人生は「失敗」だけだったような気もします。いい加減だったなあ、って。でもまあ、こんな失敗だらけの人生の中で、とりあえず「心の平安」だけはあったのですが..............最近はこの「平安」も、少しガタつき始めました。北海道にいる友人のKさんと、そうですねえ。10年前かも知れません。私がまだ元気だったころ。電話口で、私が「今は大変だけれど、これもすればいい」とか「あれもしたいと思っている」なんて息巻いていたころのこと。無口な彼が、「あのねえ。真理子さん。皆そう思うんだけれど、でも、だめなんだ。そう思いながら死んで行くんだ」って言われました。その頃、私は、「まあ、Kさん、何てネガティブな。いや、私はやってみせる」と、思ったのです。そして今..........彼の言うことは、もしかして正しいかも知れないって、思い始めました。やばい。


さっき、紅茶を淹れました。カップは、NARITA BRIANがトリプルクラウンを買った時のもの。ノリタケの高級なマグカップ。このカップの厚さは、ちょうど紅茶を飲むのにピッタリです。紅茶は、厚手のカップで飲むと美味しくないんです。まあ、コーヒーもそうですが。コーヒーの場合には、紅茶のカップより、ちょっとだけ厚めがいいと思います。カップで飲み心地が異なります。しかし、このカップを手にすると、いつも思い出すことがあります。早田牧場のこと。まだ、あまり大きくなくて、牧場に瀟洒な事務所兼早田ご夫妻の家があった頃。あれは、確か、日本軽種馬協会のMさんに連れて行っていただいたのではなかったかと思います。それから、次に、早田牧場に行った時には、もう広大な牧場になっていて、見渡す限りが早田牧場でした。そして..........


空港近くの吉田牧場に連れて行って頂いた時のこと。おばあちゃまがまだお元気でした。今は、ご長男の吉田直哉さんは、アメリカに行かれて........ご活躍ですね。吉田牧場では、今でも不思議なことを覚えているのです。お手洗いのこと。本当にピカピカに磨かれていました。日本のお手洗いは暗くて汚いイメージがありますが、当時の吉田牧場のお手洗いは、とても清潔でした。何だか、牧場の伝統や、意気込みが感じられました。でも、変なことを覚えていますよね、私って。メジロの社長の事務所にお邪魔したことがあります。おばあちゃまがお元気で、テレビの前で、騎手の批評をしたりするんだと、社長が言っていらっしゃったのを思い出します。それから、野平先生のこと............思い出が一杯。オーストラリアによくいらしていましたから。ブリスベンの街を歩きながら、手を握られて、ハッと思ったのですが、どうやら、男性の手も握るんだって後で聞きました。でも、その手が冷たかった.......何の歌から覚えていませんが、素敵な声で何かを歌われていました。もしかして、シャンソンだったかも。一緒に一度、歌いたかったなって、思います。


あれっ、いけない。このまま、ずっと昔話をしそうです。そうなんです。ちょっと心が乱れていて。解決法?チョコレート。オーストラリアでは、SNIKERSのミニ版が12個入っている袋を売っていて、これをデスクの引き出しに入れて、ちょこちょこ。それは、身体に悪いに決まっています。このまま、行ったら、もしかして、かなり太っちゃうかも。


さて、聖書の中のこんな言葉が頭に浮かびます。

旧約聖書「伝道者の書」の3章1節から11節。

「 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」



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