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ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

日豪の間を行ったり来たり。膵臓のないアラエイト。仕事もフル回転。

私の人生と洗濯物の関係

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子どもの頃、まだ洗濯機がなかったころ。
洗濯桶に水を入れて、お祖母ちゃんが洗濯をしていました。
着ているものを、全部脱がせて、お祖母ちゃんはごしごしと
洗濯をしていました。
だから、私は、いつも汚れていない清潔なものを着ていたのです。

母はその頃、学校の教師をしていましたから、家で母が洗濯をしているのを
みたことはありませんでした。
後年、海外に仕事に行っていた父が日本に戻り、
相模原のダムの建築物の仕事をすることになり、
母は仕事を辞めて、私たちと一緒に八王子に越すことになりました。

八王子で、母は、慣れない主婦業を始めました。
裁縫の時間に母に手伝ってもらったら、
先生に提出するころには、縫い目がほどけていました。
もちろん成績は、最下位(苦笑)
母は、料理も、あまり上手ではなかったと思います。
というか、あまり覚えていないのですが。
その頃、洗濯機はあったと思いますが、母は、洗濯をして、やっぱり
小さな庭に洗濯物を干していました。あら、真理ちゃん、またこぼしたの?
と、いつも、食べ物をこぼす私がいました。

私が洗濯もので、はっきり覚えているのは、お祖母ちゃんがごしごしと洗って
いたこと。さお竹ー、さお竹と、売りに来た竹竿屋さんから買った竹竿に、
お祖母ちゃんは洗濯物を干していました。
となりとの間がほぼなかった長屋のような小さな家の
わずかなスペースに、洗濯物を干す。
よくそんなことができたものだと。。

私は、未婚で子供を産むことになり、東京の渋谷の病院で
子どもを産み、迎えにくるからという娘の父親を信じて、
東京のマンションで、彼を待っていました。

その頃は、まだ紙のおしめはなく、毎日、子供のおしめを洗っては
屋上に干しにいきました。
彼が迎えにくる。と信じながら。毎日毎日洗っては干していました。
空を見て洗濯物を干すと、希望と勇気が湧いてきました。

結局、彼は迎えにこずに、切符を用意して、私は、アルゼンチンにいくことになりました。

でも、洗濯物を干すという作業は、私は大好きです。

シドニーの青い空に向かって、洗濯物を干す。
毎日でも私はしたい。


ずいぶん前のことですが、日本のヘルスケアにかかわる方々にセミナーをオーガナイズしていたころ、
アルツハイマーのケアハウスに行くことがありました。
アルツハイマーの患者の中には、毎日洗濯物をたたむ人たちがいます。
音の出ないピアノを弾く人たちもいました。
動かない車を運転する人もいました。

それをみて、私は、私が、もしかして、アルツハイマーになったら、きっと洗濯物を干しているなと思いました。

洗濯をして、それを干して、取り込んでたたむという行為は、私にとっては、私の人生を表している一つの作業です。
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