ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

日本とオーストラリアの関係

1984年にオーストラリアに移民してから、
そろそろ30年近くなります。
最初の頃は、日本人も少なくて
私は、当時わずかな数の会員が集まっていた
日本人の会に入りました。ずいぶんお世話になりました。
企業の方々が集まる日本人会と言うのも
ありましたが、最初の2年間は、
会社勤めで、企業の方が入る会には
入ることができませんでした。
個人会員というのもあったのですが、
子連れの普通の女性では、
まあ、恐れ多くて。IMG.jpg
この写真は、当時、サウスクージーというところにあった
マイグラントセンターです。派手な格好をしていたのは、
私ぐらいでした。


移民センターには一週間ほどいました。
一週間で出たんです。
何という事を。どうして、そんなに早く出るのだと
センターのオフィサーが驚きました。
当時政府から支給されていた
新移民のためのお金は週90ドル。
移民センターではこの週90ドルで
三食食べることが出来ました。
だから、何年もここに住んでいる人たちが
大勢いたのです。幼稚園も、センターの中にありました。
でも、私はここを1週間で離れました。
金もないのに。。。
ここに長くいたら、何だか外の世界には
ずっと出られないような気がしたのです。


ある日、センターの庭で、スペイン語で
こんなことを聞いてきた人がいました。
「どこから来たんだい」
日本人は、南アメリカのインディオに似ています。
きっと、私をインディオだと思ったのでしょう。
「デ・アルヘンティーナ」「ペロ、ソイ、ハポネーサ」
アルゼンチンから来たのよ、でも、私は日本人。
..........と、その男性がこういいました。
Que suerte! ケ・スエルテ!
なんてラッキーなんだ。


それから、30年近く、私は、この幸運さを満喫してきました。
オーストラリアで日本人と言うと、皆にとても
親切にしてもらいました。日本は、オーストラリアの敵国だったのに。

......
今回、「コーギースタイル」という雑誌の取材で、クインズランドを
歩いた時でした。皆、友達の友達。ほとんど私のことを知らない人たち。
おまけに最後に取材したブリスベンの人は、電話帳から探した人。
その時には、3番目の取材者と
連絡がとれず、急に新しい取材者(犬)を探さなければならなくなって、
ウエッブで検索したリストを頭から電話した結果でした。


リストの最初。
りんりん。
私は、シドニーに住むハイランド真理子です。
長くシドニーにいますが、日本人です。
雑誌の取材で。。。。
すぐに、okがでました。
住所をメールで送ってもらって、
出かけました。
まるで、長い間の友人のように扱ってくれて。
本当に恐れ入りました。
結局3番目の人からも電話があり、
ここもいくことになりました。
息子が日本に行ったことがあるって。
本当に親切にしてもらいました。


実は一番目も、二番目の取材の時に、
日本と日本人が、皆に、親切にしてもらうキーワードだったのです。
一番目の人。お父さんが日本から器械の部品を輸入していたって。
二番目の人。日本人のクライエントがいる会社に勤めている。
..............
知らない人を、家に入れるって、
最近のような物騒な世の中では、
本当に大変です。
だから、こんなに親切にしてもらえるなんて、
本当に有難かった。
これは、ひとえに、日本人だからに違いないと思いました。


日本人が、かつて、世界から尊敬を得ていたことを
思い出しました。
日本人は、礼儀正しく、丁寧で、親切で、正直で、頭がいいって。
日本の技術も素晴らしいって。
オーストラリア人はこれをずっとずっと信じてきているのです。
先日、オーストラリア人で中国で仕事をしている人が
こんなことを言いました。
..........
中国をベースにする日本企業の人と仕事をした時に、
とても、丁寧で、まじめで、親切な中国人に会いました。
彼が、実は日本で教育を受けたと後で知りました。


オーストラリアでは未だに日本語を習っている人たちが
たくさんいます。
日本を素敵な国だと思っている人たちがたくさんいるのです。
この人たちをがっかりさせないように、
日本人も、これまで築きあげてきた
レピュテーション(評判)を,
大切に守っていきたいものですよね。

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また英語のまつがえ!

30年英語の暮らししていても、毎日間違いしています。
今日の笑い話。
今日は、私がアドバイザーをする
インターナショナル・アカデミー・オブ・ヴぇテリナリー・エジュケーションまで
出かけました。
近所の駅まで迎えにきてくれた学校の理事長。
私の息子ぐらいの年齢の若い理事長です。
彼と、共通に知っている、ある人の話をしていました。


電話したんだけれど、彼の応対って
つっけんどんだったわ。
と私が報告しました。
と、理事長のピーターは
He does not have bedside manner!
と言いました。
私は、ベッドサイドを、寝室のベッドサイドと間違えました。
で言ったのが、そういう人とは寝たくないわねえ。
おまけに彼は私のタイプじゃないし。
と、ピーター、顔を赤らめて、
あのお、そのベッドサイドじゃなく、
ドクターが患者を悪く扱うという意味の
ベッドサイドで、英語では、それを
マナーがないっていう意味で使うんだ。
...............
げらげら。げらげら。



ひひひひひ。
この年して、ベッドインのこと考えちゃった。
ばかばかばか。



前にこんなまつがえをしたことがありました。
英語の表現に、

I scratch your back you scratch mine

というのがあります。直訳だと、私は君の背中を掻いてあげる。君は僕のを掻いてくれ。

つまり、お互いに助けあおうよということなんだけれど、
私は、これを、

I scratch your back, you scrach my backside

私は君の背中を掻く、私はあなたのお尻を掻くわと言っていまいました。
大笑い。ゲラゲラ。そして、はずかしー。


同じことがありましたよね。
驚いて顎を外すと言う意味を、驚いてパンツを落としたと言ったことが
あります。それを聞いた私のクライエントは、「顎ははずしていいけれど、
パンツは人前で下ろすな」って言いました。
これまた恥ずかしいー。


とにかく、英語のまつがえ、いっぱい。
今でも。
英語の表現って難しい。

自己中心者の反省

昨日、あることから激高してしまった、上の娘から、
「お母さんは、はセルフィッシュ、つまり自分のことばかり
考える人間だ」と、罵倒されました。
まあ、他にも、あと100ぐらいの
批判の言葉が投げかけられたのですが
..............
しかし、私は、自分のことを良くしっており、
当たっていると思いました。
だから、黙って聞いていました。


確かに。
確かに、私は、生まれてから、ずっとずっと
自己中心でした。
批判をした娘を、未婚で生む決意をした時。
私は、そのことで悲しむ家族のことを
考えていたのでしょうか。
いえ、考えていませんでした。
彼女の父親と別れて、アルゼンチンから
オーストラリアに来たとき。
私は、娘のことを考えていたでしょうか。
考えていませんでした。
日本の家族のことを、考えていたでしょうか。
いいえ、全く考えていませんでした。



アルゼンチンにいたときのことです。
当時外交官だった、彼女の父親の妻が、
(複雑な言い方をしましたが、娘の父親は
既婚者でしたから)
私たちのほうが、彼女をもっと良く育てることが
できる。だから、娘を引き取りたいと申し出たとき、
私は、娘のことを考えていたでしょうか。
私のほうが、ずっと良く育てることができると
思っていたのではないでしょうか。


そういえば、私は、どんなときでも、
自分をあきらめることが
ありませんでした。
全くありませんでした。
娘は言います。、
私たち家族は、お母さんの犠牲になってきた。



これは、なかなか辛い言葉でした。
私はどうせ、セルフィッシュよと、開き直っても、
子供を犠牲にしたとなると。
主人まで犠牲にしたとなると。

娘はまた、言います。
お母さんは仕事だけ。仕事という事に理由をつけて、
私たちがしたいこと、聞いて欲しいことに
全く耳を傾けなかった。
仕事。仕事は、私にとって、単なる生活の手段ではなく、
私の自己中心が具現化したものかも知れません。
仕事が私で、私が仕事。


いずれにしても、過去は、直せないのです。
それがまた辛い。

セルフィッシュ。
自己中心主義者。
主義者ではないのです。
子供の頃から、自己中心だったので、
そう生まれてしまった、とか、そう、なってしまったというのが、
正しいのでしょうか。
しかし、理屈を言えば、
そうでなければ、生き抜いてこれなませんでした。


セルフィッシュな私自身がなければ、私は、
今頃、どこかで野垂れ死にしていたでしょう。


私の63歳の道のりで、日本の家族を傷つけ、
オーストラリアの家族を傷つけてきたとすれば、

私に残された道は、今から、変わることだけしか、ありません。
変わる事ができるでしょうか。

それにしても、家族は、
人生で、一番大切なものの1つでありながら、彼らとの「ありよう」は、
一番難しい...........。


元気のない時もあります

真理子さんはいつも元気でいいねえ。
真理子さんから、いつもエネルギーもらいます。
と、皆さんから言われますが、
私だって、元気のないときがあるんです(苦笑)。
まあ、だいたい一日寝れば直るのですが、
今日は、何だかぐずぐずしていましたねえ。


忙しいのに、
今日は、洗濯をしました。
とても清清しい冬の陽。、
真っ青な空に、赤いポインセチアの葉っぱが
輝いて見えました。DSCN0634.jpg
オーストラリアのポインセチアは大きな樹になるのです。

外に洗濯物を出したのですが、
何だかいつものようにルンルンしないんです。
私の一番好きな、洗濯物干しをしたのに。
早めに乾かそうと思った主人のパンツを
乾燥機に入れたら、乾きませhh。
編だなと思ったら、壊れていることに気がつきました。


明日の夜は、ゴールドコーストから娘がやってきます。
上の娘です。
この前アメリカから戻ったばかり。
またアメリカに行くらしい。
ビザのために
シドニーにある大使館にインタビューに
行くので、ビザが降りるまで家にいるというのです。
彼女と長期に暮らすのは、久しぶり......
アメリカで仕事が見つかったと言うのですが、
その割には、金がないと言っていて。
金のないのは私も同じ。と言いたいけれど、
彼女と口論する気にはなれません。
沈黙。

....................


彼女は綺麗好きで、埃があると、喘息が出ます。
そこで今日は、彼女が泊まる部屋の掃除をしました。
掃除機が、途中で止まりました。
乾燥機のあとは、掃除機が壊れてしまいました。
なんだか、ますます元気がなくなりました。


娘の事はとても、心配です。
心配するなと下の娘がいいます。
でも、心配です。心配しても意味がないことも知っています。
だから、できるだけ心配しないようにします。
でも.........


アルゼンチンのことを、今日は思い出しました。
アルゼンチンは、悲しい思い出が一杯です。
アルゼンチンタンゴは、悲しい音楽です。
男と女。裏切り。ほとんどがそうです。
裏切ったり裏切られたりしながら、
アルゼンチンの人たちは生きていました。
それを思い出しました。
思い出しながら、悲しい気持ちで、タンゴを聴きました。
明日、私は元気になるでしょうか。DSCN0633.jpg

母の日にむけて、私の母のこと。

IMG_0004.jpg
母の日が近づいています。
先週母の日だと思った私は、
あまり期待していなかったにも関わらず、
娘達から、何の連絡もないことに
がっかりしていました。あとで、母の日は
今週の日曜日だと主人に聞いて、
なあんだ。バカと主人に笑わました。


私の母。
いつも思うことですが、私はあの母に負うところが
大変多いのです。でも、その母を、私は
あまり大切にしませんでした。母の日に、
彼女に何をしてあげただろうと考えて
みても、何も浮かんできません。
母からもらったものが多いのに
私は彼女に何もしてあげられなかった。


母は、ずっと、ワーキングマザーでした。
小学校の先生をしていました。
他の子供の面倒はみるのに、
私は、田舎もんの、おばあちゃんに預けられて...
と、子供の頃は寂しい思いがありました。
なのに、その私が、後年、娘達を人に預けて
仕事に専念したのは、運命のいたずら?


母は、いつも人のことを、そして人のために尽くした人でした。
弟が小さい頃、彼を胸に抱いてこんなことを言っていました。
「弁護士になってほしいわ。弁護士になって、
弱い人を助けて欲しい」。
弟は弁護士にはなりませんでしたが、いつも、人を助ける
心の美しい人間になりました。
彼女が、教員の学校を出てすぐのことだったといいます。
新進気鋭の小学校教師。と、教師のストがあり、社会正義に
燃える若い彼女が、そのストに出ようとすると....
やはり、小学校に勤務。校長をしていた祖父から、
「お前は、生徒を捨てていくのか」と問われ、
ストに参加しなかったのだと。母は言っていました。
今、自分のことだけ考える、あるいは、自分のことも
考えられない教師がいるかと思うと。何だかなさけなくなります。


母はいつも素敵にしていました。モダンでした。
8枚はぎのスカート。
素敵な色の組み合わせ。
素敵なハンドバッグに、アクセサリー。
とても素敵な母でした。
彼女は美人だといわれていて、
親戚からは、弟は母と似ているが、
「真理ちゃんは、お父さんにで、可哀想ね」と
言われていました。つまり、母は美人で
私はぶす。そんな母にちょっと嫉妬していたかも
知れません。でも、母は、私にも、いつも
素敵な洋服を着せてくれていました。
今でも守っている母の言葉。
「真理ちゃん、外国の人は、年をとるにしたがって
綺麗な色を着るのよ」。


彼女に連れていってもらった映画。
最初の洋画で覚えているのは、
サウンドオブミュージックのもとになった
「菩提樹」。他にもたくさんの映画に連れていって
もらいました。「予期せぬ出来事」エリザベス・テーラーと
リチャード・バートン。母はあの映画が好きでした。
もちろん、「哀愁」とか「終着駅」とか。
彼女はロマンチックな映画が好きでした。
「ハッピーエンドじゃないと嫌だわ」と言っていましけれど。
ロマンチックな映画は、ハッピーエンドじゃない場合が
多い。それどうして?


私は、30年前に国を出ているので、
晩年の母を、あまりよく知りません。
アルゼンチンから戻ったときに、
私の名前を忘れていた時には、
あの母がと愕然としました。
彼女は、何十年立っても、教え子の名前、教え子の成績を
忘れなかったのです。その母が、私の名前を忘れた。
それにしても、母は、素晴らしい教師でした。


あんまりしゃべらない、うちの主人がこんなことを言います。
「人は、誰かが思い出している限り死なないんだ」って。
だとすれば、母は、まだ生きているのです。

私が若かったときよりも、ずっと鮮明に、私の心の中で生きています。

人に優しくしなさい。人を裏切らないようにしなさい。
弱い人を助けなさい。彼女が教えてくれたことは、私の中で生きています。
その通りにできているかどうかは別にしても。


私は自分の娘達に何を残してあげられるのでしょうか。
心配です。

でも、お母さん。
私を産んでくれてありがとう。
本当にありがとう。

Meaning of Life

真理子さん、ブログ更新していないので心配していましたって。
それ嬉しいですよね。こんな私のブログを読んでくださっているって。
といういう皆様、ありがとうございます。
実は、先週から二度もクインズランドを行ったり来たり。
かなり忙しくしていました。
日本を行ったり来たりするよりは
ずっとラクなのに、何だかオーストラリアの家にいて
仕事をしていると、時間がゆっくり流れてしまって。
本当はこういう時間も私の人生には必要だったのに。
動いていないと罪悪感。


さて、先週こんなニュースを読みました。
英国のエイドワーカーである、医師がパキスタンで
誘拐されて、首を跳ねられて殺されたニュースです。

The murder of a British aid worker
whose body was found dumped in an orchard
in Pakistan has been condemned by the Prime Minister
as a “shocking and merciless act”.

Khalil Dale, 60, was kidnapped at gunpoint
in January while working with the International
Committee of the Red Cross (ICRC) in Baluchistan province.


彼は彼の一生のほとんどをエイドワーカーとして働いていたようです。
それが、誘拐され、恐らく拷問もされたのだと思いますが、
挙句の果てに殺されてしまった。
このニュースが出張の間もずっと頭を離れませんでした。
この人の人生の意味です。Meaning of life!
これだけ世界の底辺の人の救援に従事し、
人のために力を貸してきた素晴らしい人。、
が、こんな無残な最期を遂げてしまった。
私は、この医師の人生について、頭の中で考え続けていました。


恐らくこのような人生の終わり方をしたのは、彼にとっては
遺憾で、想定外だったのかも知れません。
では、どんな人生の終わり方をすれば、彼にとっては良かったのでしょうか。
などと考えてしまいました。
そして、思いました。
...............
彼のような人は、きっと、こういうことがあるかもしれないということを
想像していたのではないかと思ったのです。
でも、自分の信念を貫いた。信念のために生きた。
お金や地位や、楽な生活が、彼の求めたLifeではなかった。
彼の Meaning of lifeは、社会のために尽くすこと。
そうしたいと思う自分に忠実に生きること。
だから、どんな死に方をしたとしても、それが問題なのではなく、
彼が生きた間に何をしたか。何を考えて生きていたのか。
それが重要なのではないのかと、
考えました。


もし、そうでなかったとしたら、
人生というものの意味がない。
あれだけ人に尽くした人が、あんな無残な殺され方をするなんて。
私はそう思いました。

思った途端に、ちょっとだけ光が見えました。
死に方ではなく、
そこに至るまでの道のりが大切なのだと。
..................
そして、私たちの一人一人は、その道のりに
立っているのだと。いつも。誰もが。


と、私が考えていたら、
こんな言葉を見つけました。

“Life has no meaning.
Each of us has meaning and we bring it to life.
It is a waste to be asking the question
when you are the answer.”
― Joseph Campbell

人生というものには意味がない。
我々のそれぞれに意味があって、その意味を我々は、自分の人生で実現するのだ。
だから、人生の意味って何なのかと問い続けるのは意味がない。
私たち自身が、その答えなのだから。

ジョセフ・キャンベル


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