ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

若者?ばか者?

今日も電車の中で、不思議な光景を目にしました。
若い女の子が、電車でしゃがみこんでいるのです。
最初、病気なのかと思い、席を替わろうと思いました。
最後尾の車両。
彼女が座り込んでいたのは、最後尾車両の一番後ろの手すりのあるところ。
ふとみると、しゃがみこみながら、彼女は、しきりにスマホを使っています。
しゃがみこんでいる姿をじっと見ました。
コートの下からハイヒール。それも、すごい高さのハイヒールが見えています。
あ、足も見えました。しゃがんでいても、長い脚が想像できます。
誰も、彼女のことを見ていないことに、私は驚きました。
ああ、日本社会。
それでもやっぱり、彼女は病気なのではないかと、また見つめました。
駅につきました。
でも、彼女はまだしゃがみこんで、スマホを使っています。
目がきょろきょろ。
どうしたのでしょうか。
本当に、どうしたのでしょうか。


昨日、八王子に行く電車の中。
5人ぐらいの大学生。
「ああ、金がねえな」「働いている彼女でも見つからないかな」
「小遣いってもらったらいいよな」
「弁当も作ってくれたらいいな」
「それでさ、他に女が出来たら、バイバイ」
と、声が聞こえててきました。後ろなので、どの男子の声か分かりません。
「それはないよ」
誰か、1人、ちゃんとした考えの人間がいたようです。
それにしても、恋人が欲しいっていうのなら、分かります。
自分の金づるのために、彼女が欲しいというのです。
若い男性がですよ。


テレビのドキュメンタリー。
彼女は早稲田大学を出て仕事をしています。
彼女の最大の希望は、「公務員と結婚すること」
携帯サイトから、検索して、
「公務員は確率が高いから、だめかもしれないけれど」
彼女は、サイトに、いわゆる足跡というのをつける。
布団に入りながら、誰か知らないが、公務員から電話が
あるのを待つ。
公務員?公務員と結婚するのが夢?
その男性がどんな男性なのか。それは気にならないのでしょうか。
彼は悪い男性かも知れないでしょう。暴力を振るうかもしれないし、
公務員というくくりだけで結婚したいという、低次元の考え方に
絶望しました。

世界のどの国をとっても、大学卒の女性が、そんなことを
考えるとは思えません。どうして、あなたは大学に行ったの?
貧乏な国なら、食べ物が欲しいとか、学校にいっていい仕事をしたいと
思うのかも知れませんが。大学を出て、夢が.............
公務員と結婚すること。
毎日、それだけを考えて暮らしている?
こういう人が母親になる。子供は?
ああ、絶望的。


若者はばか者。
法外な夢を見る。
いつの時代にも、若者は夢を見てきました。

だけど、今は。


土曜日に、シンガポール経由で、いよいよオーストラリアに戻ります。
長かったなあ。今回も。
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難しいですね、最近の日本語

いや、まあ、その、私のような半外国人が日本語のことを
色々言う権利がないのは知っているのです。
でも、ある言葉が、今までと全く反対の意味を持ってしまうなんて。
戸惑ってしまいます。

例えば、(あまりいい言葉ではないのですが)やばい。。。という言葉。
私たちの時代は、「やばい人「というと、確か「怪しい人」だったですよね。
でも、今は「すごくいい人」なんだそうで、まあ、使わないほうがいいのでしょうが、
どうしたらいいものでしょうね。

「了解しました」ではなく「了解です」
「よろしくお願いします」ではなく「よろしくです」
「明けましたおめでとうございます」ではなく「あけおめ」
まあ、モダンボーイをモボ、モダンガールをモガと呼んだ日本人だから、
仕方ないのかしら。
私、提案があります。「さよおなら」は、「おなら」にしちゃえば?

ああ、難しい。最近の日本語。
プラス、私が「昔の言葉」を使ってしまうのも問題。
「録音機」「下駄箱」「キャバレー」「ナイトクラブ」「ディスコ」
そして、「イカス」などなど。「イカス」は、最近「いけてる」というそうで、
私も、なんちゃって(これも覚えましたよ!)若者で、使っています。

確かに英語も変化していますねえ。
コンピューター用語が続々出ていて..........、
英国のコメディーの1シーン。
八百屋に高齢者が買い物に行きました。
「ブラックベリーが欲しいのですが」
「アップルならありますけれど」
???





会いたかったら。。

実は、不思議なことに、最近色々なところでお目にかかった方々から
「真理子さんにまた会いたい」って言っていただくことが多くなりました。

そして、その方々とまた会っているのです。

私は自分で「オーストラリアのくそ婆」だと思っていましたから、
「もう一度会いたい」って言っていただくと、
最初はとても恥ずかしい気がしました。
でも、お目にかかって、こんなことを発見したのです。


「会いたい」って言っていただいたけれど、
あ、会いたかったのは、私の方だったのだって............。
会いたいという方にお目にかかって、
その方々のお話を伺っていると、色々な人生が見えてきて、
勉強になったり、感動したり。
一緒に頑張りたいという気持ちになりました。
私で出来る事はなんでもしたいって思うようになりました。


求めよされば与えられん...........
と言う言葉がありますが、「会いたい」と言われたときに
「YES]と答えた私は、「その方々の気持ちを受け取ったのではなく」
「私も求めたのだ」と思ったのでした。


それから、こんなことも考えました。
昔は、単に「忙しそうに」オーストラリアと日本を行ったり来たり。
こんにちわ。さようなら。またこんちにわ。さようなら。


事務所を自分の家に移したときに、
膨大な数の名刺を発見して、
呆然としてしまいました。
一度会っただけの人々。
私が「求めていたら」
会った方々ともっと親しく、彼らから学んだり、お互いに助け合ったり、
もっといい関係が出来たのではないかと思いました。
でも、私はしてこなかった。


もう遅い?
いえ、そうは思いません。
60歳でも70歳でも、今から始めるのに、
遅い事はないのです。と、私は思います。


この前東京から恵比寿までの電車の中で、
不思議な光景を見ました。
隣の若者が、スマホをなでているのです。
まあ、それ自体は、今時不思議な光景ではありません。
でも、彼のスマホの画面は動いていないかったのです。

そのアクションは東京駅から恵比寿まで続きました。
恵比寿が近づくと、彼は寝ていました。
起きたら、またスマホを撫でるのでしょう。


会いたかったら、会いにいきませんか。
私も、これからそうします。
何千枚の空しい名刺はもう捨てて。



今日もこれから、「会いたい」と言われた方とお目にかかりにいきます。
あと一週間の日本。実はまだたくさんの「会いたい」という方々に会いに行くのです。
私も彼らに「会いたい」から。
【“会いたかったら。。”の続きを読む】

放浪のスーツケース

話しかける、英語だとtalk to someone...
私は、いつも、人に話しかけることを、モットーとしています。
というか、まあ、話しかけずにはいられない「おしゃべり」だからかも知れません。
だから、知らない人にでも話しかける、アルゼンチンや、
オーストラリアの文化は、私にはぴったりでした。
Hallow! How are you? Como esta?
家の周りを歩いていて、
誰かに会うと、こしてう話しかけたり、かけられたりします。
なのに、最近は、中国の人が近所に住み始めて、
彼らは話をしないので、彼らに間違えられて、
声を掛けられることが少なくなりました。
だから、私から挨拶。Hallow!
おっ、この中国人、結構礼儀を知っているかも.....
と思われているかも知れません。



日本?今、滞在中のマンションでは、入り口やエレベーターで
出会うと、ほとんどの人が挨拶をします。いいな。
大阪では、結構、誰にでも話しかけますよね。
これもいいな。
先日、和歌山から大阪へ戻るときに、
すごーく派手な化粧して、頭の先から、足の先まで、
ショッキングピンクで身を固めたおばちゃん?に会いました。
電車がなかなか来なかったので、「きいへんねえ」などと
話しながら、ああ、このおばちゃんのピンク素敵!と思ったので、
「素敵ねえ」と言いました。「ありがとう」とおばちゃん。


そういえば、帰りの新幹線の中でのこと。
私は荷物があるときには、たいてい、一番後ろの席の通路側を選びます。
荷物を置きやすいし、チェックもしやすい。
私は一番先に荷物を横にしておきました。だって、前に、縦に置いたら、
荷物が、放浪し始めたことがあったのです。
日本のスーツケースの車輪の性能はすごい!
ふと、気がつくと、隣の若い男性が、荷物を持ったまま座っています。
私は、「私の後ろにおいていいですよ」「ご迷惑じゃないですか」「いいえ、とんでもない」
「では」と若い男性。
そしたら、青いスーツケースが、どこからか一人歩き。
車内販売の女性に言いました。彼女が、そのスーツケースを持って、
前方の席から、「お客様のスーツケースでしょうか」と親切に尋ねてあるきました。
でも、誰も、申し出ませんでした。
私と、隣の男性は「一体どこから来たのでしょうね」」前から来たと思うのですが」
「それにしても、誰も持ち主がいないのは変ですね」と話していました。
と、「すみませえん」と携帯電話片手の男性。デッキで話中に、
スーツケースが一人歩きしてしまったようでした。


若い男性に私が聞きました。「これからどこへ」「北海道です」
彼は初めて北海道を出たのだそうです。静岡に出張。
彼の仕事は、障碍者のための就職支援。
オーストラリアにはまだ来たことがないけれど、一度行ってみたい。
でも、考えてみれば、北海道も回ったことがない。いつも、札幌に
はりついて?いる。行こうと思えば難しくはない。車で周れる。
だったら、いけばいいじゃない?そうですよね。
最後に品川で別れるときに、彼は言いました。
「お目にかかれてよかったです。今度、いつか、オーストラリアに行く希望ができました」
「そう。でも、まずは北海道からじゃない?」「そうですね」
私たちは分かれました。


話をかけること。話をすることで、いいことがいつも起きます。
行きの新幹線でもそうでした。車が線路に不法侵入してきて、
新幹線が止まりました。そこから、隣の方と話が進みました。
彼女は神戸出身。静岡在住。主婦だけれど、料理教室をしている。
色々、話し込んで、最後に彼女は言いました。
まあ、私が、ベラベラしゃべっていて、その中の、言葉を彼女は繰り返したのです。

「そうですか。確かに過去は消せませんよね」「ええ、私たちに与えられた選択は、
前に進むしかないのです」「そうですね。長い間、胸につかえていたことがあって、
今の言葉で何だか、それが消えたような気がします。そうですね。過去は消せないですね」
それが何なのか、よく分かりませんでしたが........私のおしゃべりも、少し誰かの役に立ったかな。
彼女のスーツも紫色の素敵なスーツ。オーストラリアの紫の花、ジャカランダを思い出しました。
それも彼女に言いました。


話しかけることって、重要です。だって、こんな言い方たちに出会うことができるのですから。

バレンタインデーと岩田すみれさんの死

今日はバレンタイン。この日が来ると思い出すのは、
岩田すみれさんのこと。
どうしても、忘れられません。
この日に、彼女が亡くなったからです。
早稲田に東西線がやっと出来たころのこと。
地下鉄の駅の上の喫茶店で、
バレンタインデの、数日前に
彼女が言いました。
「私が死んだら、私の本全部持っていっていいわよ」
「えっ、死ぬってどうういうこと?」
彼女は、にっこり笑いました。


私は、63歳になり、人生の中の色々なことを忘れかけているのに、
あの日の彼女の表情。白い肌。大きな目。
くっくりと、私の心に焼き付いています。
当時人気だった、松島とも子にそっくりだった、すみれさん。
あの頃はまだ、珍しかったアメリカ留学までした人。
確か、彼女が戸山高校時代に行ったのだと思います。
何から何まで私と違う人でした。


その彼女と、田舎からやってきた私が友達になれるなんて、不思議でした。
そういえば、彼女は、西麻布のマンションに住んでいて、そこにお邪魔したことがあります。
あの時代は、マンションってとても珍しかった。
マンションの中に入ったっていうのは、もしかして、あれが
初めてだったかも知れません。
すみれさんの、お父様は、確か、映画関係の方でした。
彼女と六本木のアマンドに行きました。
熱い文学論を闘わせました。
今でも、アマンドを通ると、彼女を思い出します。



なぜ、彼女は、死を選んだのでしょうか。
彼女が死を選んだ場所は、彼女のご家族が持っていた
信濃大町の別荘でした。
白い雪。雪の中で、死んでいった彼女を思い浮かべます。
彼女と一緒に死を選び、彼女と一緒にあの世にいかなかった
その男性を、私たちは、嫌悪しました。
私はその方の名前を、すみれさんから、聞いていました。
日本の有名なファミリーの一員です。
しかし、その彼に妻子があったように聞いています。
もし、彼に妻子があったのであれば、それが死の原因だったのでしょうか


彼女は学生運動をしていました。腐敗した学生運動の構造を
嫌っていると言いました。
女はいつも、バケツに石をつめるだけ...........だとも。
でも、彼女は止めませんでした。
彼女を運動に、恋に、そして死に追いやったものは
何だったのでしょう。
もう、50年近く経っているのに、私には、答えが見つかりません。
彼女は、彼女の家に近かった青山墓地に眠っています。
ねえ、すみれさん、
私があなたの方に行ったら、どうしてそんなに早く、
そっちにいったのか、教えてよね。

メランコリー in 乃木坂

33年前に、赤坂、乃木坂に住んでいたことがあります。
不良外交官と「風鈴のともしび」で、子供を産みました。
その娘が32歳に今年なって、今、アメリカを旅しています。

今日は、いつもの、西洋式?ブランチを食べに、乃木坂の
Kimono Wind Bar & Grill に行きました。alone!
もう友達になったマネージャーのローレンさんとシェフのご主人クリス、
そして、フレンチブルのアーチーに会いに行きました。
ここに行くのは、日本のレストランでは
なかなか食べられない、フツーの卵とベーコンとポテトを食べに行くのです。
美味しいパン。そして、美味しいコーヒー。
この普通の食事が、日本ではなかなか食べられません。なぜかなあ。
つまり、外国のフツーが分からないのかも知れない。
今まで、一流ホテルの朝食も、皆、不合格。
何かが違うんです。
この店は、乃木坂の静かな住宅街にあります。


今日はあまり寒くなかったし、
久しぶりに、この界隈を歩いてみたいと思いました。
仙台から妊娠7ヶ月で乃木坂にやってきました。
渋谷の日赤で、娘を一人で産みました。
彼がアルゼンチンに赴任になって、後で、私たちを呼ぶからという言葉を信じながら
娘と二人で暮らした街がこの街。期待と不安でいっぱいでした。
当時から、乃木坂には、桂由美のブライダルセンターがありました。
でも、地下鉄はなかったな。
ミッドタウンは、当時は自衛隊のベース。
すし屋(おつな寿司)と、彼とよく」逢引」をしたホテルは、まだありますが、
後は、ほとんど当時の面影を残す建物はありません。
それが、当時のマンションだけはまだ残っているんです。古ぼけた感じ。


今日は、当時、子供がいたので、存在は知っていても、中を見ることの出来なかった
旧 乃木邸を訪れました。私は乃木将軍のことをあまり知りません。
軍人としては評価が色々あるようですが..........。
ドイツに留学したので、乃木邸は、ドイツ風の家でした。
当時はとても、モダンだったに違いありません。
Nogi House
馬も2頭飼っていたとか。だから、厩舎もありました。
当時、家族の生活費を稼ぐために、辻占(占いを売る)少年にお金を上げ、
その少年は、恩に感じて立派な人になったとか。その話を表した銅像。写真
それから、庭を彷徨いました。隣に乃木神社。
国家にある、さざれ石をみました。初めて。stone.jpg


乃木坂の下に、当時娘を連れて遊びに行った公園がまだありました。
坂の途中に、教文社という出版社も、まだありました。
あとは、乃木会館も。立派になっていました。
公園に、当時は、砂場しかありませんでしたが、今は、ランドスケープされて、
かなりモダンな感じになっていました。娘を連れて毎日出かけた公園。
当時のことがまるで昨日のように思い出されます。
乃木神社では、この33年、おかげさまで無事で過せたことを感謝してきました。
まあ。
危ないことがたくさんありましたが............
それでも、何とか、この年まで生き延びて。しかも、娘も32歳になった。
乃木坂。ここで、娘を産み。ここから、アルゼンチンへ。そして、オーストラリアに。
今またこうして、この地を訪れることが出来た。地球を半周して............。
感謝でしかない。


こんな歌を思い出しました。

メランコリー

喜多条 忠 作詞
吉田拓郎 作曲

緑のインクで 手紙を書けば
それはさよならの 合図になると
誰かが言ってた
女は愚かで かわいくて
恋に全てを 賭けられるのに
秋だというのに 恋も出来ない
メランコリー メランコリー
それでも 乃木坂あたりでは
私は いい女なんだってね
腕から時計を はずすように
男とさよなら 出来るんだって
淋しい 淋しいもんだね


節分には、KISSを。せっぷん。

ツイッターで、デーブ・スペクターの駄洒落を読むたびに、
「私だって、やれる」と大声を上げたくなってしまいます。
私が駄洒落に染まったのは、高校のとき。
あ、高校のとき、私は孝行娘でした。
国語の先生が、「国語ができるようなるためには、駄洒落を言え」と
言ったのです。私はおかげで、国語はとてもできる娘になりました。
だから、外国人のデーブに負けたくない。
私だって、海外に行って、日本語とかけ離れた生活をしていたけれど、
駄洒落を、外人にしてやられるなんて、北海道をロシアに渡しちゃうようなもの。
とういわけで、私は、これから、デーブ・スペクターならぬ、デーブ真理子として、
しゃれをガンガン言っていきたいと思います。


今日、松本の名医、ドクター藤本が、
チョコレートを汽車の中で一口食べてた。ポッキー、ぽっっきり。
と言っていました。
ああ、だったら、これはどうでしょう?
節分には、KISSをしあいましょう。せっぷん。
寒いので、行火を買いました。(本当です!)。安かったです。安価。


私は、今度、テレビに出演したい。あの人と一緒に。
つまり、デラックス松子と一緒に。だって、私は、デラックス真理子。

オーストラリアでの、日常の挨拶は。オース!
ああ、でますねえ。山本リンダ。どうにも止まらない。
では、英語で。
東北地方に手紙を送ったんだけれど、戻ってきちゃったよ。
どこに送ったの?仙台。Return to sender!
日本製の靴で、一番知られているのは?九州に売ってるよ。Q shoe!
東北弁が上手な、ジャズマンは?カウント・ウダべしー。
えらそうな人ばかりいる県は? いばって県。
集中力のない人ばかりいる県。あきた県。

年齢も年齢だし、男性なのに、妊娠しちゃったの。誰?井上羊水。
焼肉が好きな歌手。都はるみ。
ちょっと古かったですね。



これで、もしかして、「ハイランド真理子の英語教室」には、誰も来なくなってしまうかも。
決まっている仕事もこないかも。
先生、英語教室や仕事では、絶対に、駄洒落を言わないように、約束します。

sensei.jpg

病気なんです。

Happy Talk

昔、「南太平洋」という映画を観ました。
ミュージカルです。
心に残るたくさんの曲が、心に残りました。
私のWALKMANには、この「南太平洋」が入っています。
NZ出身のオペラ歌手、キリ・テ・カナワとホセ・カレーラが歌っている
バージョンです。大好きなジャズ歌手のサラ・ヴぉーンも。
そのサラが歌っている歌。
Happy Talk.ハッピートーク

happy.jpg


Happy talk, keep talking happy talk,
Talk about things you'd like to do,
You gotta have a dream,
if you don't have a dream,
How you gonna have a dream come true?


ハッピートークをしましょう、ずっとしましょう。
自分でしたいこと、その話をしましょう。
夢を持たなかったら、
どんな風に夢を実現していくの?



そうよねえ。確かに。
昨日、楽しいTALKを
まりちゃんとしました。私と同じ名前のまりちゃん。
楽しかったなあ。
Happy Talk.
Talked about things we like to do!
ハッピートーク。
何がしたいか。何が楽しいかを話しました。




彼女、変なの。変わっているの。
私のように。
彼女は、帰国子女でもないのに、
小学校のときに、帰国子女クラスにいたんですって。
それが、彼女を、日本でいう「変な」人にしちゃったらしい。
帰国子女は、それぞれの違いを認め、それを受け入れて
友達になっているから、とても楽だった。
それにしても、その経験が、彼女の「今」に
つながっているなんて、いかに、子供頃の環境が
大切かって分かりますよね。


日本でいう「変な」人って、人と違う人。
それって、私のように、半分外人になった人には
とても不思議。
人間って生まれたときから、他の人と違うでしょう。
unique, one and only, different
犬だって、同じお母さんから何匹生まれても、
みんな違う。なのに、日本では、皆同じに生きようとしている。
できないよお。そんなこと。
無理するから、ストレスが起きる。それが、色々な
conflict 葛藤につながる。


さて、今、日本には、色々と大変なことが
起きていますよね。それをみたり、聞いたり、
話したりしていると、悲しくなってしまいます。
心が重くなってしまいます。
だから、Happy Talk しましょうよ。
みんな同じになるように努力している。
実は、それこそ変。


それにしても、今、私たち、
特に日本では、悲しい話、大変な話に囲まれて、
ちょっとHappy Talkなんか出来ないような
環境にありますよね。ともすると、すぐ、その
悲しくて、苦しい話になってしまう。
でも、ホントは、そんなときだからこそ、
Happy Talkが必要なんじゃないかな。
って思います。



Talk about the moon floatin' in the sky
Lookin' at a lily on the lake;
Talk about a bird learnin' how to fly.
Makin' all the music he can make.


空に浮かんでいるお月様の話。
池に浮かんでいる蓮の話。
一生懸命、飛ぼうとしている赤ちゃん鳥の話。
その赤ちゃん鳥が、(ああ、怖い怖いって)ピーピーいっている音の話。


そんなとりとめのない話が、実は、私たちには、今必要。
HAPPY TALKをしなかったら、どうしてHAPPY TIMEがもてるの?

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