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ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

MA SOLITUDE 私の孤独

一人で住んでいると、一人で住むための「暮らしの知恵」を作り出さなければなりません。ひとりで暮らしていることが「悲しい」ことにならないために、色々考えました。そのひとつが音楽でした。私は、子供の頃から音楽が大好きで、まだラジオしかなかった時代、東北放送の合唱団に入り、従兄弟のサトシ兄さんにレコードを吹き込んでもらい、大きくなったら「歌手になりたい」と思っていました。それから、小学校に入り、やはり合唱団、中学校では聖歌隊。そのまま音楽にいけば、私の人生は全く、今と異なった人生になったはずなのですが、今は……


☆ ☆
アルゼンチンで、つらく悲しい思いをしながら暮らしていたときにも音楽がありました。オーストラリアでやはり、娘と二人暮しをしてきた時にも音楽がありました。それが、結婚して、幸せになると……….音楽は、次第に私の暮らしから消えていきました。仕事と家庭生活の中で、時間がなくなったのがその理由です。大学時代には、フランス文学を学んでいたせいで、当然フランスの歌が多く、カセットでシャンソンを聴きながら暮らしました。そのシャンソンが、私の暮らしの中にまた戻ってきました。何十年ぶりに、ジョルジョ・ムスタキの  Il y avait un jardin qu'on appelait la terre….. 小さな庭があった…. という音楽が聞こえてきたときの、衝撃。何十年間の時が一瞬にして過ぎて、私に襲い掛かってきたのです。

☆ ☆
ジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki )は、ケルキラ島という、ギリシャの島に生まれました。民族問題があり、エジプトに亡命しましたが、17歳のときに、フランスに渡りました。パリは実全主義の時代。当時は、彼ら、実存主義者たちのねぐらであった左岸を生活の場にしていたのだと言います。1957年、エディット・プアフに出会い、彼女の最後の恋人になり、多くのヒット曲を書きました。そのころ、彼が作詞した「MILORD(ミロール)」は大ヒット。社会革命家としても知られ、多くのプロテストソングも書いています。その彼の書いた、MA SOLITUDE私の孤独は、私が大好きな曲でした。私は、この曲にもであったのです。これもまた衝撃でした。今一人で住んでいる私には、とりわけ。もちろん、この歌は、ユーチューブからとって、ウオークマンに入れました。



Ma Solitude
Pour avoir si souvent dormi Avec ma solitude Je m'en suis fait presqu'une amie Une douce habitude Elle ne me quitte pas d'un pas, Fidèle comme une ombre Elle m'a suivi ça et là Aux quatre coins du monde,
Non, je ne suis jamais seul Avec ma solitude. …………………………………………….

私の孤独」[作詞・作曲ジョルジュ・ムスタキ (Georges Moustaki)]

私の孤独と一緒に しばしばよく眠ったものだから
私は私の孤独をほとんど友達みたいに
甘美な習慣みたいにしてしまった
彼女は影のように忠実に
私から一歩も離れようとしない
あちこち世界のすみずみまで
私につきまとった

いや私は決してひとりぼっちじゃない 
私の孤独と一緒だから

彼女が私のベットにうずくまる時
場所をひとり占めしてしまう
そして 長い夜な夜なを
二人っきり向いあって過ごす
この共犯者はどこまで行くのか
ほんとうはわからない
こんな興味を持っていくべきか
それとも 逆らうべきか?

いや私は決してひとりぼっちじゃない 
私の孤独と一緒だから

私の孤独からたくさんのことを学んだ
涙を流すことも
時々彼女と別れようとしても
彼女は決して武装を解こうとしない
そしてもし私が他の人と
恋をしたいと思うなら
彼女は私の最後の日に
最後の伴侶となるだろう

いや私は決してひとりぼっちじゃない 
私の孤独と一緒だから


☆ ☆
今日は、信子さんと一緒に、彼女の新しいファミリーをピックアップに行きました。彼女の家に新しいワンちゃんがやってくるというので、なんちゃって「親戚のオバサン」をさせてもらいました。新しい命。新しい、家族。伸子さん、おめでとう。私の腕ですやすや眠る、ワンちゃん(名前はまだ決まっていないのです)の息を感じて、うちにおいてきた、サリーを思い出しました。
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