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ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

日豪の間を行ったり来たり。膵臓のないアラエイト。仕事もフル回転。

95.45セント

私がオーストラリアに永住したのは1984年の6月です。このとき、わずか2千ドルを財布に入れて、娘一人と、全くの知り合いも、仕事の当てもなくオーストラリアにやってきました。6月のシドニーはとても寒く、タクシーでそのままシドニーの南にあるサウスクージーのイミグレーションセンターまで行ったのです。その時持っていた2千USドルは、オーストラリアオーストラリアドルに換金したら、2000ドルを割っていました。今週、オーストラリアドルは、24年ぶりの最高値を出し、US95.45セントになりました。

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オーストラリアにやってきてから、およそ一年後、オーストラリアドルは、急降下して、USドルの半分になりました。それから、20年間、70セント、80セント、90セントとなり、今、またほぼUSドルと同じヴァリューになったのです。シングルマザーだった私に娘の養育費として、当時メキシコにいた娘の父親が一ヶ月に500USドルを送ってきていました。ドルが急降下して、私は、その500ドルで家賃を払えただけでなく、少しおつりももらいました。もっとも、それからすぐに、娘の父親からの仕送りは途絶えました。旅行会社に勤めていた私は、9時から5時頃まで、あるときは残業で7時ごろまで仕事をして、娘が寝入った9時頃から、今度は翻訳の仕事を、朝方まで続けていました。旅行会社の給料はとても安く、暮らしていけなかったのです。考えてみればあまり、今の生活とあまり変らないかも知れません(笑)

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オーストラリアドルの安さに、日本から多くの投資家がやってきました。日本人の目から見ると、当時のオーストラリアは何でも安く、我々はほぼ第三国状態でした。日本円が、55円ぐらいの時に、娘を日本に連れていって、ホテルで、アイスクリームを食べさせようと思ったら、オーストラリアドルで換算するとほぼ30ドル近く。ためらっていると、友人が「いいじゃないの、アイスクリーム位」っておごってもらったのを思い出します。上の娘が、オーストラリアドルが、1ドル60セントぐらいの時にアメリカに遊びに出かけました。アメリカの給料はいいよって。アルバイトしていたようです。

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今は、何でも高いオーストラリア。日本と比べると、ガソリンぐらいでしょうか、安いのは。結果、オーストラリアからの輸出が不振です。もっとも、資源のない国は、高くても買わなければならないので、相変わらず資源の輸出は好況。西オーストラリア州の鉱山地帯では、トラックの運転手が2000万円ぐらいの給料だとか。若ければ、出稼ぎに出て行くところです。

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それにしても、なぜ、この好況のオーストラリアに売り込みにくる日本の企業が少ないのでしょう。日本の面白い製品や、美味しい食品があるはず。新潟のある菓子メーカーに、オーストラリア人から頼まれて電話をしました。「御社のお菓子を購入したいのです」担当者は、まるで私を、不審者のように扱いました。まあ、その態度の傲慢なこと。もちろん、そんな会社から買う気はしませんが。

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日本の会社で英文のウエッブを作っているところのほとんどは、意味を成しません。まるで高校や中学の学生に英作文でも頼んだかのよう。情報を発信するのに、言葉はもっとも重要な手段。なのに、本当に変な英語が。20年以上英語を使っている私でも、公文書は、必ずネィティブに目を通してもらいます。ネイティブと言っても誰でもいいわけではありません。ビジネスの専門家です。それにしても、日本企業の英語は本当にひどい。ひどい英語を掲げる位なら、英文のウエッブなど出さない方がいいのです。意味を理解してもらえないのですから。とはいうものの、そんな日本企業の英文のウエッブを作ってあげてもいいな、なんて、最近考えています。新ビジネス!英文ウエッブで、外国人にものを売りませんか。オーストラリアでも、オーストラリア人が、着物の生地や、日本のアンティークをウエッブ上で売って大成功している例があります。


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