ようこそ!ハイランド真理子のブログです。

オーストラリア在住。団塊の世代。海外の競馬や犬事情も含んだ日記です。

Absolutely!

今日は、実は、大変ストレスフルな日でした。実は、昨夜、静岡の興信所のサイトにアクセスしたら、急に、同期しますか?というメッセージが出てきて、つい、ハイとクリックしてしまったのが、原因で、そのサイトが、私のコンピュータに侵入してきたのです。明日は、コンピューターのプロを呼んでクリーンアップしてもらう予定ですが。誰かが、自分の家に侵入してきたように感じられて、血圧が上がり、胸がドキドキ。今夜は、ねむり薬を飲んで寝ようと思います。ああ、こわ。

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さて、最近、主人は、こちらで流行っているAbsolutely という言葉に頭に来ています。これは、日本語に訳すと、全く、などと訳されますから、どうして変なの?と言われるかも知れませんが、つまり、この言葉をよくよく、考えてみると、これは、完全にとか100%とか、最高の強調をしているわけですから、普通は、そんな状況はあまりあり得ないものなのです。なのに、お元気ですか?Absolutely!  ええ、完全に、100%元気ですと言っているようなもの。アメリカ人が、よくこのような強調語を使うのですが、オーストラリアにも流行ってきてしまいました。誰でも彼でも、Absolutely! この言葉を聞かない日は、Absolutely ありません。本当に、Absolutely 困ってしまいます。

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ある本にこんな説明がありました。これは、ある英語の表現の裏に、実は、こんな事実が隠されているという、皮肉ではあるえkれど、真実を言っている説明です。

たとえば、 I think that,という表現は、私はこう思うのですが、という意味ですが、実はこの裏に、”誰も、私の意見には賛成してくれないけれど”という、隠されたCODE(暗号)があり、generally という言葉は、一般的にと訳されますが、実は、本当のところ、”私だけがこれを信じているのです”という、ブラックな真実があるというのです。そして、the ppoint I am trying to make、私が協調したい点というのは、という表現には、”誰も私の話を聞いてくれない”という、語り手の暗い気持ちが隠されているのだkとか。

私も、よく、自分の話し言葉の中に、頻繁に使う言葉があるのに、気がつきました。たとえば、たとえばという言葉、やっぱりり、やっぱりという言葉、しかも、しかもという言葉。つまり、つまりという言葉。これは、私の、独善的な、自分の考えに、他人を引き込もうという、悲しい心理が隠されているに違いありません。Asbolutely!!

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ところで、なぜ、静岡の興信所にアクセスしたかというと、先日お話した、ANDREさんの娘さんを探してくれるのではないかと思ったからです。でも、コンピューターがこんなことになって、ちょっと心配だな。
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キャット驚く!

あっと驚く、タメ五郎って、いうのは、もとクレージーキャッツのハナ肇が言った台詞。私が、猫のDVDの販売にために、自分で作ったコピーは、キャット驚くDVD!  ご理解いただけない方に、ご説明をすると、CATとキャッと、言う言葉を掛けたのですが.......。さて、このDVDを作るきっかけとなったのは、シドニーに住む猫ちゃんのボクチョイ(中国白菜のこと)。.前にも宣伝させていただきましたが、今、彼女と彼女のネズミちゃんの本を書くために、彼女のHC、つまりヒューマン・コンパニオンは、今、一生懸命に写真を撮っています.......dinner s a002


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ところで、私は、ネズミは、大嫌いでした。その昔、風呂に入ろうと裸で(当然ですが)風呂場に行ったら、風呂の蓋の上に、巨大なネズミが。そして、そのネズミが、私の裸を見て、ヒヒヒと笑ったような気がして(想像ですが)、私はキャーと、風呂場から裸で飛び出してしまったのです。あの時に、振り返ったネズミが怖くて、ネズミが嫌いだと思い込んでいたようです。が、今回の写真で、ふふん、ネズミも可愛いものだなと思い始めました。このネズミは、何でも、シドニーから何百キロも離れたカントリーの町で、ティーンエージャーが、趣味でブリーディングしているんだとか。ネズミの価格もさることながら、飛行機での輸送費がかなりかかったと、HCは愚痴っていました。それにしても、楽しいストーリー考えています。お楽しみに。

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kisa with DVD-1
これは、友人のワカコさんちの猫ちゃん、KISA。何でも、ご主人が膝に乗せてDVDを見せてから、すっかりご主人が好きになったのだとか。写真を送ってくださいました。皆さん、猫買っている人に、このDVDをぜひ紹介してくださいね。HC(ヒューマン・コンパニオン)たちとの関係もよくなりますよ。
http://item.rakuten.co.jp/gyutto/10002116/

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確か、日本は、もうそろそろゴールデンウイークですよね。外国生活も30年となると、日本の休日はピンときません。が、日本とのビジネスが少し静かになりますから、この間に、遅れている企画書や、書き始めた本などの書きだめをします。ふうう。

誰か知りませんか?

3月のマジックミリオンズセールで、馬用のクール&ヒートパックを作っている会社が展示をしていました。馬のものを作っているだから、おそらく犬もものもあるだろうと後日コンタクトをしたのです。返事は、これまでレーシングドッグのために一度だけ試作品を作ったことがあるけれど本格的なものではない。したがって、できれば、専門家の意見を聞いて作ってもいいというものでした。専門家というのは、当然、動物の理学療法士であるミシェル・マンクです。早速話をしに、ブリスベンまで来ました。今朝のことです。

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会社は、元カナダ人と元アメリカ人のご夫妻。ともに、二回目の結婚で、ブリスベンの海辺に、事務所兼の自宅がありました。さて、いろいろ商品の話を聞きましたが、ランチをとりながら、こんな話を聞いて驚きました。実は、社長のアンドレーさんは、元日本人と結婚していたのです。娘が二人いて下の娘はカナダにいるけれど、上の娘は日本。実は、その上の娘とは、十年も前から音信不通で、彼女を探しに、五月に日本に行きたいと思っていると語りました。話は、本当に、ドラマティックでした。彼は、カナダ人ですが、アメリカ軍に入り、相模原のベースに駐屯。60年代のこと。当時、アメリカ兵は、日本人と結婚してはならないという規則があったそうです。しかし、自分はアメリカ人ではないのだからと、ASAHI REIKOさんと結婚しました。軍を離れて、カナダに。ケベックの親元に戻り、REIKOさんとの間に下のお嬢さんが生まれました。しかし、ケベックは英語も通じず、非常に狭い世界。心身ともに疲れたREIKOさんは、カナダを離れたいと言い出します。彼女のために、アンドレーさんは、日本に戻りました。しかし、日本の当時の規則で、アンドレーさんには、ビザがおりませんでした。

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1972年、オーストラリアで新しい生活をとアンドレーさんはやってきたのです。しかし、今度は、まだホワイトオーストラリア”白豪主義”のオーストラリアには、日本人である彼女がオーストラリアに住むことができなかったのです。下の娘は、カナダで生まれているので、アンドレーのご両親のことろへ。アンドレーさんは、オーストラリア。上の娘と奥さんは日本。三つの国に家族は離れ離れになってしまいました。それでも、十年ぐらい前までは、結婚して、ITOの姓になり静岡県の富士市に住んでいた娘のLINDAさん(日本名KEIKO)からは手紙が来ていました。残念だったことは、KEIKOさんは、日本人になりたかったので、英語を話すのを嫌がりました。アンドレーさんは、日本語が読めません。したがって、お互いの手紙は、日本語、フランス語、英語に訳されて、最後には、一体、お互いに何を言いたかったのか分らなくなったといいます。 LOST IN TRNSLATION.


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アンドレーさんは、私に、かつてKEIKOさんが書いて送ってきた日本語の手紙を渡しました。手紙には、とても美しい字で、こう書かれています。


パパ、元気ですか。私は元気でやっています。
パパからの手紙がなく、もしかしたら、パパに何かあったのではないかと、みんなで心配していたところに、パパからの手紙が届き安心しました。
パパに何かあったら、私のところには、どうやって連絡してくれるのですか?
親子なのに離れているので......前に、パパがけがをした時も全然知らなかったし、私のたった一人のパパなのに.....心配です。
なにもないことを、ずっと祈っています。



手紙は、まだまだ続いています。彼女のアンドレーさんへの愛があふれています。こんなに愛し合っていた親子が離ればなれに。何という運命のいたずらでしょう。


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KIEKOさんのお母さんの名前は、REIKO ASAHI
静岡県の富士宮市、黒田に住んでいました。KEIKOさんの名前はKEIKO ITO.静岡県の富士市、石塚に住んでいたといいます。

誰か、お二人を知りませんか?ANYBOY KNOWS THEM?


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今夜は、ゴールドコーストの娘のアパートでこんな話をしました。上の娘が、かつて、彼女のハーフシスターと会ったのは、アルゼンチンのブエノスアイレス。娘がまだ3歳の時です。インターネットで、彼女の名前を検索したら、彼女の姉はノルウエーにいました。メールを出してみたら?何て書くの?私はあなたと共通の父親を持っています。コンタクトしたいので、メール下さいって。なんだかドキドキするなあ。といいながら彼女は、自分の過去の糸を手繰っていきました。あまり、期待しないで待った方がいいよと、アドバイス。アンドレイの人生と運命。私の人生と運命。とても不思議な日でした。

オーストラリア競馬の隆盛

オーストラリアで最も歴史のあるシドニーのせりが、日曜日から開催されました。今日で二日目ですが、何と、売り上げが二日で8260万ドル。およそ82億円以上です。この2日間で売却された頭数は240頭、その平均価格が日本円で約3400万円にも上りました。1億円を突破したのは8頭、今日は、2億2千万円が出ています。私は、かつて、オーストラリアの競馬は最もデモクラティックな競馬だと書いたことがあります。馬を買えば誰でも馬主なれると。それを読んで、何人もの方々がオーストラリアで馬を持ってくださいました。しかし、このところの馬の値段の高騰や、預託料の高騰は、とても、フツーの人たちは買うことができません。今回のせりでも、日本人で購入したのは、吉田勝己氏ともう一人だけ。明日の記録次第では、世界で最も高いせりだと言われたセレクトセールを上回るかも知れません。これがデモクラティックな競馬でしょうか。かつては、このセリ、1万ドルで買える馬もいたのですよ。もう、無理。-04112007-7755.jpg


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昔は.......なんて言い方をすると、年寄りの愚痴になるから止めたいと思いますが、オーストラリアの競馬のこの隆盛は、当然ながら、資源ブームと不動産ブームに裏打ちされたバブル経済。それと、グローバル化もこのオーストラリア競馬の隆盛に拍車をかけました。やはり資源ブームで沸く南アフリカ、ユーロの強いヨーロッパ、そして、香港、中国からのバイヤーが集まり、更に、ますます高騰する賞金を狙って、世界各地からオーナーたちもやってくるからでしょう。まあ、外国からのオーナーにオープンだというのは、かなり日本と異なっていると思います。限られたバイヤーだけを相手にしていては、日本のせりが廃れてくるのは必至。市場の拡大を考えれば、当然、バイヤー、つまるところ、馬主資格のオープンなどが必要になってきます。

☆ ☆ ☆
十年後のオーストラリアの競馬やせりは一体どうなっているのでしょう。 先日、ここ30年位オーストラリアで最大のオーナーブリーダーだったインガムファミリーが、ダーレーにブラッドストックの全てを売りました。ジャック・インガム氏とボブ・インガム氏が兄弟で築き上げた牧場と厩舎。しかし、ジャックさんが亡くなり、ボブさんも年をとり、恐らくそれが、売却の理由なのでしょう。いつまでもやれないっていうことなのかも知れません。金があるとないとに関わらず年齢だけは平等にとっていくものですから。

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かつて、セレクトセールに若い人を連れて行った時に、その人にとっては、初めてのセレクトセールだったものですから、彼が”一頭が三千万円。普通の人が一生掛かっても、貯められないぐらいのお金ですよね”って、呟いたのを思い出しました。私も、オーストラリアの競馬、そろそろ引退.......かも。

前世はエレファント?

今日は、ボクシングに行こうと思っていましたが、結局いけませんでした。昨日の晩、主人に、明日早く起きなければと言ったら、WHY?って聞かれました。ボクシングに行くの。主人はLAUGH。何でよって言ったら、無駄だよ。そんなに早く起きられないよって。主人が当てにならなかったので、携帯のアラームをつけておきました。朝............ いつものことですが、ベッドサイドの自分のベッドで眠っていたサリーが朝の気配を感じて、我々のベッドにJUMP、私の腕の中で眠ります.....スヤスヤと寝息を立てて............至上の喜びとはまさにこのこと。今朝もも、彼女がやってきてスースー。私やっぱり起きたくないなあ。サリーの顔を見ながら......といっても、彼女の顔は真っ黒で、暗い中では顔が見えませんが....彼女の白いボディーだけが浮き上がって見えます.... いつしか、まだ可愛くて、口答えをすることのなかった娘たちの顔を思い浮かべていました。そしてそのまま、グーグー、SLEEP IN 。起きたら、主人が、ハム&チーズトーストを作ってくれました。美味しかった。

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洗濯、洗濯。洗濯オバサンは、大忙し。すると、娘が、起きてきて”お母さんの前世はエレファントじゃないの。どうして、ドシドシと音を立てて歩くの”と文句を言っています。”お母さんのような人が住んでいるアパートの下の階にいたら、ホント、大変だわね”と、全く失礼なことを言います。”どうして、あんな音が出るのでしょう。きっと、HEEL、かかとで歩いているのね”と、私を攻撃します。夜遅くまで、つまらないアメリカの映画見て、今頃ゴソゴソ起きてくる、お前に、どうして、働き者のこの私が、文句を言われなければならないのだ。しかも、エレファントなどと言われて。だったら、お前はエレファントの娘なのか! 主人に”ねえ、母親に対して、あんな言い方をしていいと思う?”と聞いたら、今度は主人がYES, DAMBOって。キイ~。家では、こうして、娘と主人のタッグマッチ。私はいつも、精神的に苛められています。


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とにかく、娘の言い方は、何から何まで気に食わない。もっとも、娘も、私の、することなすこと気に入らないよう。みかんを食べていたら、”お母さん、その食べ方はナンなの。まるでsavageのよう”って、今度は言ってきました。savageってケダモノのことなのです。だったら、どう食べればいいのよ、と食ってかかったら、”あのね、みかんは、こうして、少しずつ皮をむいて、1つずつ口に入れるのよ”と、日本人?のようなことを言い出した。もっとも、オーストラリアでは、みかんの皮は食べませんが、みかんの袋は食べるのです。この方が、腸の動きがよくなりますよね。日本の小型のみかんのことを、ここでは、manndarine orange マンダリンオレンジといいます。

☆  ☆
オーストラリアの秋は、急に冬めいてきました。しかし、今日は、私が、マネージしているSonic De Lagoがニューキャッスル競馬場で2着に入りました。調教師が2000mのホースだというので、今年の春はもしかしてメルボルン?うちのミスターゼンは、走るレースがなくて、困っています。ビクトリア州には長い距離のレースがあまりないのです。そうかと思うと、今日のシドニーは、2000mの長い距離のレースばかり。しかし、ミスターゼンは、カントリーの競走馬ですから、距離は合うからと言って、街に出てきても勝てません。本当に、難しいものです。私はもう諦めましょうと言うのですが、主人はまだ諦め切れなくているよう。

ヘモロイドクリーム

アルゼンチンのことを書いたあとに、ヘモロイドというのが、私の人生なのだと思います。男を追って南米まで出かけた恋多き女の行く末が、ヘモロイド。ヘモロイドというのは英語で痔のこと。最近、またバスルームに進出してきたので、あっ、これは気をつけなければと思っているところです。何を気をつけるかというと、前に、主人が、歯磨きチューブと間違って、ヘモロイドクリームを使ってしまったからなのです。何だかネバネバしたと思ったとは、主人の感想。それ以来、私も同じまつがえをしないようにしています。

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ヘモロイドは、年取った人の病気と思いがちですが、実は違います。私は、中学校の時に、ヘモロイドに悩みました。私だってうら若き乙女の時代があり、中学校の時は、本当に人知れず悩みました。中が丸くくりぬけているドーナツ状のゴム製のクッションを買ったほど。普通に座るととても痛かったのです。座薬などという、いかがわしい薬を使ったこともあります。しかし、今考えると、いつ、あんなに悩んだヘモロイドが良くなったのか分かりません。最近のは、あの時ほどはひどくありません。

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さて、明日は、またBOXING.それから、競馬。といっても、明日はテレビで観戦。それが、一番。着飾る必要がありませんから。そして、家の掃除。来週は、シドニーのセリで、それからクインズランド州出張。時間があれば、お腹を凹ますマッサージに行こうと思います。凹まなかったら、マネーバックギャランティだって言ったのでTRY。何でも、このマッサージは、お腹を柔らかにして、一回で3センチは減るというのです。私は、胃がぽっこり出ているので、このポッコリを凹ましたい!このところ、ストレスで食が進み、妊婦のように.......膨らんできました。私が、妊婦のように.....などというと、娘が「ああ、気持ち悪い。その年で、妊婦になるはずがないじゃないの」って、ユーモアも何もあったものではありません。

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中学の同窓の房子さんが、もうすぐ同窓会があると伝えてきました。今日は、高校の同級生から同窓会があると連絡がありました。もう60歳になるので、生きているうちに会っておきましょうということなのでしょうね。それにしても、皆に会いたいな。

戒厳令の夜

なぜ、思い出したのか定かではありません。でも、思い出しました。アルゼンチンのことを。私は、娘がまだ1歳と8ヶ月の頃、娘の父親を追って、アルゼンチンに行きました。娘の父親は、ベネズエラの外交官で、当時結婚していましたが、妻は病気で行く末が短いと言っていました。身体の悪い妻がいるのに、不倫をするのは本当に申し訳ないと思っていましたが、恋愛というのはどうにもなりません。恋は、罪の意識を乗り越えて、本当に大胆なことをさせてしまうものです。彼は、当時、私と20歳も年齢が離れていました。既に何度も結婚しており、今の私だったら、絶対関わらない男性ですが、本当に、私は向こう見ずだったのだと思います。彼に、妻が余命幾何もない、残された子供がかわいそうだから、彼らの母親になってくれといわれて、その子供たちには当時、東京で紹介されていました。その言葉を信じて、未婚で娘を産み、アルゼンチンまで飛んだのです。その頃は、VARIGブラジル航空で、ロスと、リマとリオ経由でブエノスアイレスに飛びました。何と32時間。娘は一度も泣きませんでした。

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当時のアルゼンチンは、政情が悪く、軍事政権で、生活も苦しく、人々の心は鬱蒼としていました。娘の行っていた幼稚園では、毎朝、軍歌のようなものが歌われ、アルゼンチン国旗を掲げていました。確か、その後、英国と戦争の種になったマルビナス(フォークランドアイランド)の歌も歌っていたと思います。ある晩、軍事政権に反対する大きなデモがありました。私たちは、CASA ROSADA、つまりピンクの家と呼ばれる大統領官邸近くのアパートに住んでいました。アパートと言っても、フロア全部がアパートなのです。ブエノスアイレスの大きなアパートは皆そんな感じでした。家一軒分の大きさです。使用人の入る門が別にあって、アパートにはポルテロと呼ばれる門番一家が住んで、管理をしていました。当時、ベネズエラの総領事だった彼は、総領事官邸に住んでおり、私たちは、そのアパート暮らし。待てど暮らせど、離婚も妻の死亡のニュースもありませんでした。市民に鉄砲を向ける兵士たち。デスアパレシードと呼ばれ、兵士たちに誘拐されてしまった人たちの影が、舗道やバスの停留場に描いてありました。白い影で、そこに、誘拐された当時の年齢や名前が書いてあったのです。白い影たちはまるで幽霊のようでした。

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大統領官邸に向かって、大きなデモ行進。そこに、軍部が用意した武装車や装甲車が待ち構えています。ガス弾を放たれ、散り散りバラバラに逃げる市民たち。兵隊たちに次々と連れられているでも隊。私は8階の窓から、震えながら見ていました。道路の両脇にある高層のアパートから、兵士たちへの侮蔑の声がこだまのように響きます。彼は、その晩、家に帰るといいました。毎日、私たちに会いに来ていましたが、必ず家に帰ります。しかし、その晩、私は、彼に帰って欲しくなかったのです。危険だと思いました。しかし、彼は深夜、無理やり帰りました。あのときの、敗北感。戒厳令の夜。

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娘とオーストラリアにやってきてから既に、24年が経っています。その間、彼が娘と私に書いてきた手紙は最初の頃だけでした。あとは、金も手紙も無しのつぶて。でも、娘は、父親に会いたいのだろうか。彼は生きていれば、80歳になっているはずです。いつも、長生きの血統を誇っていましたが。最近、ウエッブで、彼の子供たち、つまり娘のハーフブラザーとシスターの居所が分かりました。

ロイヤルサタデー

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土曜日、ドバイの王様、マクツーム殿下のダーレーグループからの招待で(なんて偉そうだけれど)、ローズヒルガーデン競馬場に出かけてきました。この日は、ダーレーグループが、メジャースポンサーとなっており、多数の招待客を呼んでいます。私は、その他大勢の一人。ローズヒルガーデン競馬場に新しく出来たスタンドの一部を借り切ってのホスピタリティ。私も、これまで一度も競馬場に行ったことがないという、珍しいオーストラリア人姉妹を誘ってでかけました。いつも競馬場に行くときに気になるのは洋服。このところの金欠病で、私は新しい洋服が買えません。とはいうもの、かつて、金に糸目をつけず(は、ちょっと大げさ?)買っていた古いドレス類があります。「リサイクルとするか」と、10年前に、姪っ子の結婚式用に買っていたピンクのコートドレスを着て、やはり何年か前にメルボルンカップ用に買ったピンクと黒の帽子を被りました。ふうむ、古いけど悪くないな。10年前に結婚した姪っ子は、丁度離婚して、今年また再婚したばかり。この再婚式も呼ばれましたが、招待を断ったばかりです。同じ洋服着て行くわけに行かないしね.......。

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主人に"How do I look?"どう?って聞いてみたら、主人は、OKって。つまり、これは、おお何と素晴らしい、それを着ると君は20歳は若く見える。競馬場に行って若い男に誘われたりしないように。って、言ったのだと、私は解釈しました。コンピューターに向かっている娘に” How do I look?"お母さんのドレスどう?って聞いたら、娘は一瞥して、またコンピューターに向かいました。えっ、それは、どういう意味なの?後で、そのことを、友達に言ったら、恐らく、この前のマーケットの大成功から、「そうね。その洋服も、そのうち貰って、マーケットで売るわよ。恐らく高く売れるに違いない」と言ったのだというのです。何たる資本主義娘よ。

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競馬場まで、主人に送ってもらいました。主人は、人ごみが嫌いで行くのを拒みました。さて、車に乗って、よっこらしょっと、足を組んだら、なな。。。なんと、足のすね毛が見えています。そうか、うっかり、足のすね毛を剃ってくるのを忘れてしまったな。主人に,途中、コンビニか区薬局に寄ってくれない?と頼んだら、WHY?って聞かれたので、すね毛を剃るのを忘れたのって言ったら、髭は剃ってきたかって聞かれてしまいました。実は、髭は、朝、ちゃんと剃ったのです。前も、リハビリセミナーの終了式の晩に、ちょっと気取ってスカートはいたら、やっぱりすね毛を剃るのを忘れて、急いでホテルの部屋に戻り、すね毛を剃ったのです。しかし、あまり急いで剃ったせいで足を切ってしまいました。血が出て大変でした。今度も、主人が、気をつけろよって心配してくれたのに、案の定、ちょっとだけですが切ってしまいました。痛くない、痛くないっていいながら、つばつけて直し?ました。

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さて、ダーレーのパーティー会場に行きましたが、食べ物が中々廻ってきません。一緒に行った友人でビジネスパートナーのキャシーが、いい考えがあると、その場を立ち去りました。そのうちに、お酒も、食事も廻ってくるようになりました。キャシーに聞いたら、ウエイトレスたちに、「ねえ、あそこにいるピンクのコートと帽子を被った日本人のレディがなかなか、食事が廻ってこないって不平を言っていたわよ。あの方はね、大きな声じゃ言えないけれど、日本のローヤルファミリーの一人なんですって」と、言ったらしいのです。冗談じゃない。私のような下品なおばさんが、ロイヤルファミリーの一員になれるわけが........と言ったら、帽子とピンクのコートで、マトンもラムに見えるんですって。このマトンがラムのようにというのは、英語の表現。日本語では、馬子にも衣装っていうのですが。

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さて、馬券も何回か試みましたが、トライフェクタ(三連単)の、2着、3着ばかり。コン畜生と馬券を捨てて地団駄踏みたい気持ちになりましたが、ロイヤルファミリーの一員ですから。そうも。というわけで、先週は、とてもロイヤルなサタデーを過ごしました。さて、家に帰って、いつものトラックパンツにすぐ着替えて、ホッ。私にロイヤルは似合わない。

千代の間違え

仙台に生まれた私は、嫌というほど、地元の詩人、土井晩翠のことを聞かされました。といっても、特に思い出すことは何もありません。彼が住んでいたところに、晩翠庵があるとか、晩翠というお菓子があるとか、そんなことしか覚えていません。しかし、この荒城の月ほど、間違いやすい詩はありません。向井田邦子さんは、確か、眠る盃という本を書いていたと思いますが。

春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いづこ

の、巡る盃を、眠る盃といいまつがえ?したというところからとったタイトル。しかし、この荒城の月というタイトル1つとっても、工場の月なのか、向上の尽きなのか、千代の松ヶ枝なのか、千代のまつがえなのか、本当にまつがえやすい詩だと思います。

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高校の二年の時に、仙台から東京、と言っても、東京都下の八王子に移りました。外国生活を続けていた父が日本に戻ってきて、城山ダムの仕事をし始めたからです。八王子なんて田舎なのに、住む人たちは、結構都会だと思っていて、転向先の高校から、「お嬢さんは、言葉は大丈夫でしょうか」と聞かれたと母がプンプンして言っていました。つまり、仙台は、ズ^-ズー弁だから、東京の都会の言葉が通じるかといういう意味だったらしいのです。何のことはない、八王子に行ったら、ダンベダンベのド田舎弁。私は、なぜか、仙台にいて、周りが仙台弁だったのに、父と母が仙台弁を使わず、子供の頃からなまりがありませんでした。それにしても、その頃、都会の?八王子には田んぼがあり、仙台よりずっと田舎だったのです。

☆ ☆
私は中学から女子だけの学校でしたから、南多摩高校の共学がちょっとドキドキでした。惚れっぽい私は、案の定、転校してすぐに、当時生徒会の副会長をしていたポコちゃんという男子生徒に恋をしました。ポコちゃん(どうしてそう呼ばれていたのか分かりません)は、詩人で、同人誌などを作っていたのです。その同人誌の仲間に頼んで、一度、デートをアレンジしてもらいました。放課後の屋上で。彼は、お母さんが亡くなっていて、その気持ちなどを詩に書いていました。とても、寂しい詩を書いていたような気がします。彼とのデート。どきどき。ドキドキ。彼に聞かれるかも知れないと、詩の本をたくさん読んでいきました。ポコちゃんが聞きます。「そうか、君は詩が好きなんだってね」ホラきた。「ええ」「どんな詩が好きなの」ああ、やっぱり読んできてよかった。とその瞬間、頭の中が真っ白になって、それまで呼んだ詩や詩人の名前を全部忘れてしまいました。「あの、あの、あのお」浮かんできたのはなんと、「土井晩翠」ポコちゃんは、驚いた顔をして「へえ、君は古い詩人が好きなんだね」................私が覚えているのは、そこまで。ポコちゃんとのデートは、それが最初で最後でした。

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それにしても、いい松ヶ枝や、思い込み違いは、本当にたくさん。小学校の校歌は、確か、晩翠叔父さんが作ったのではないかと思いますが、思い違いかも知れません。

木町通り小学校、明治六年始まって偉い人たち育て来た、その後継いで勤めましょう....とというのですが、二番目に、高い誉れの藩祖公という歌詞があって、それを皆は、高い誉れのばんそうこうと歌っていました。

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糸井重里さんの、「いいまつがえ」という本は、本当に面白い!新幹線で、他の人の顰蹙を買うほど笑いながら読んだのを思い出します。それを、先日、岡田繁幸さんに言ったら、手帳に書いていらっしゃりました。彼も、笑いが大好きらしいのです。

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英語のいいまつがえは、数知れず。アルゼンチン人はどんな人たち?って、オーストラリアで初めての面接で聞かれて「彼らは、nakidです」って答えてしまったり。ネイキッドとは、裸の意味。したがって、私は、「ええ、彼らは裸なんです」???面接は、もちろん、落ちてしまいました。

マッサージ

ついに我慢ができなくて、マッサージに行ってきました。オーストラリアには最近アジア系のマッサージのサロンが増えています。プロフェッショナルなのか、そうでないのか。白衣を着ていても実はあまり分かりません。アジア系のマッサージのサロンに、マッサージ師たちは、住んでいるような感じがするのです。肉の臭いがしたり、カーテンで仕切っている後ろに、リビングのようなものがあったり。その臭いのきつさに、ほうほうの体で逃げ帰るところもあります。私がこうして横に鳴っているベッドに、彼らも寝るのだろうかと、ちょっと気味が悪くなることもあります。

☆ ☆
それでも、身体の痛さには勝てず、昨日も、今日も、中国系のマッサージに行ってきました。英語はあまりできません。SORE、痛いという英語は知っているようで、イキナリ、私の身体を痛く揉んで、SORE?ソー?ああ、そう?しかし、45分揉んでもらって、昨日の夜はよく眠れました。やはり効いたなと、今日もまた行ってきました。ソー?そう。ソー?そう。って言いながら、マッサージ。今日は方だけでなく、足裏も揉んでもらいましたが。その痛いのなんのって。

☆ ☆
痛いといえば、かつて、大阪のホテルに来てもらったマッサージのオバサンの足裏もすごく痛かった.......。いや、思い出すだけで痛みが戻ってきそう。そのオバサンは、何だか、すりこ木のような小さな棒を持ってきて、足裏をぐりぐりするのです。もう、痛いのなんのって。私は、10代から、マッサージにかかっているベテラン?ですが、あんなに痛かったのは初めてでし」。泣いていました。そしたら、おばさんが、「お客さんは我慢づよいね「って。そして、お金を払わされて。そんなのありなの?

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マッサージついての思いでは山のように。中でも、大阪のホテルのマッサージは、いつも何かSTORYがあります。「あら、お客さん、凄い荷物ね、どこからいらしたの?」「オーストラリアから」「そうなんだ。でも、お客さんって、何だか人生の経験が色々あるようですよね」「(自慢じゃないけど)山のように」と言ったのが、ウンの尽き。彼女の人生相談が始まりました。気性の悪い嫁が、弟をたぶらかして、親の財産狙っているとか。散々話を聞かされて、私はちっとも、リラックスせず、もう、へとへとになってしまいました。時間が来たら、マッサージのオバサンは、「ああ、何だかせいせいした」と、ちゃっかりマッサージ料をとって帰っていきました。身の上相談料はないの?

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他にも、身の上相談は様々。5人の子供をおいて、若い女の後を追っていった馬鹿亭主の話とか、30歳も年の違う中国人と結婚しようと思っている50歳のオバサンの話とか。ところで、もっと、凄い話が。さっきの、財産相続の身の上相談をしたおばさんに、大阪のホテルでまた会ってしまったのです。「あら、お客さん。また」って、言われたので、つい「あれからどうしたの?」って、聞いてしまったのは、私の一生の不覚。「それがね、お客さん、聞いてくださいよ」って、またマッサージしながら長話。そして、私は、また高いマッサージ料をふんだくられたのでした。

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ああ、温泉にでも入れれば、この肩こりも直りそうなんだけれど。あるいは、宝くじでも当れば。そう、私の肩こりは、金欠病かも。

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