真理子さんはいつも元気でいいねえ。
真理子さんから、いつもエネルギーもらいます。
と、皆さんから言われますが、
私だって、元気のないときがあるんです(苦笑)。
まあ、だいたい一日寝れば直るのですが、
今日は、何だかぐずぐずしていましたねえ。
★
忙しいのに、
今日は、洗濯をしました。
とても清清しい冬の陽。、
真っ青な空に、赤いポインセチアの葉っぱが
輝いて見えました。

オーストラリアのポインセチアは大きな樹になるのです。
外に洗濯物を出したのですが、
何だかいつものようにルンルンしないんです。
私の一番好きな、洗濯物干しをしたのに。
早めに乾かそうと思った主人のパンツを
乾燥機に入れたら、乾きませhh。
編だなと思ったら、壊れていることに気がつきました。
★
明日の夜は、ゴールドコーストから娘がやってきます。
上の娘です。
この前アメリカから戻ったばかり。
またアメリカに行くらしい。
ビザのために
シドニーにある大使館にインタビューに
行くので、ビザが降りるまで家にいるというのです。
彼女と長期に暮らすのは、久しぶり......
アメリカで仕事が見つかったと言うのですが、
その割には、金がないと言っていて。
金のないのは私も同じ。と言いたいけれど、
彼女と口論する気にはなれません。
沈黙。
....................
★
彼女は綺麗好きで、埃があると、喘息が出ます。
そこで今日は、彼女が泊まる部屋の掃除をしました。
掃除機が、途中で止まりました。
乾燥機のあとは、掃除機が壊れてしまいました。
なんだか、ますます元気がなくなりました。
★
娘の事はとても、心配です。
心配するなと下の娘がいいます。
でも、心配です。心配しても意味がないことも知っています。
だから、できるだけ心配しないようにします。
でも.........
★
アルゼンチンのことを、今日は思い出しました。
アルゼンチンは、悲しい思い出が一杯です。
アルゼンチンタンゴは、悲しい音楽です。
男と女。裏切り。ほとんどがそうです。
裏切ったり裏切られたりしながら、
アルゼンチンの人たちは生きていました。
それを思い出しました。
思い出しながら、悲しい気持ちで、タンゴを聴きました。
明日、私は元気になるでしょうか。

母の日が近づいています。
先週母の日だと思った私は、
あまり期待していなかったにも関わらず、
娘達から、何の連絡もないことに
がっかりしていました。あとで、母の日は
今週の日曜日だと主人に聞いて、
なあんだ。バカと主人に笑わました。
★
私の母。
いつも思うことですが、私はあの母に負うところが
大変多いのです。でも、その母を、私は
あまり大切にしませんでした。母の日に、
彼女に何をしてあげただろうと考えて
みても、何も浮かんできません。
母からもらったものが多いのに
私は彼女に何もしてあげられなかった。
★
母は、ずっと、ワーキングマザーでした。
小学校の先生をしていました。
他の子供の面倒はみるのに、
私は、田舎もんの、おばあちゃんに預けられて...
と、子供の頃は寂しい思いがありました。
なのに、その私が、後年、娘達を人に預けて
仕事に専念したのは、運命のいたずら?
★
母は、いつも人のことを、そして人のために尽くした人でした。
弟が小さい頃、彼を胸に抱いてこんなことを言っていました。
「弁護士になってほしいわ。弁護士になって、
弱い人を助けて欲しい」。
弟は弁護士にはなりませんでしたが、いつも、人を助ける
心の美しい人間になりました。
彼女が、教員の学校を出てすぐのことだったといいます。
新進気鋭の小学校教師。と、教師のストがあり、社会正義に
燃える若い彼女が、そのストに出ようとすると....
やはり、小学校に勤務。校長をしていた祖父から、
「お前は、生徒を捨てていくのか」と問われ、
ストに参加しなかったのだと。母は言っていました。
今、自分のことだけ考える、あるいは、自分のことも
考えられない教師がいるかと思うと。何だかなさけなくなります。
★
母はいつも素敵にしていました。モダンでした。
8枚はぎのスカート。
素敵な色の組み合わせ。
素敵なハンドバッグに、アクセサリー。
とても素敵な母でした。
彼女は美人だといわれていて、
親戚からは、弟は母と似ているが、
「真理ちゃんは、お父さんにで、可哀想ね」と
言われていました。つまり、母は美人で
私はぶす。そんな母にちょっと嫉妬していたかも
知れません。でも、母は、私にも、いつも
素敵な洋服を着せてくれていました。
今でも守っている母の言葉。
「真理ちゃん、外国の人は、年をとるにしたがって
綺麗な色を着るのよ」。
★
彼女に連れていってもらった映画。
最初の洋画で覚えているのは、
サウンドオブミュージックのもとになった
「菩提樹」。他にもたくさんの映画に連れていって
もらいました。「予期せぬ出来事」エリザベス・テーラーと
リチャード・バートン。母はあの映画が好きでした。
もちろん、「哀愁」とか「終着駅」とか。
彼女はロマンチックな映画が好きでした。
「ハッピーエンドじゃないと嫌だわ」と言っていましけれど。
ロマンチックな映画は、ハッピーエンドじゃない場合が
多い。それどうして?
★
私は、30年前に国を出ているので、
晩年の母を、あまりよく知りません。
アルゼンチンから戻ったときに、
私の名前を忘れていた時には、
あの母がと愕然としました。
彼女は、何十年立っても、教え子の名前、教え子の成績を
忘れなかったのです。その母が、私の名前を忘れた。
それにしても、母は、素晴らしい教師でした。
★
あんまりしゃべらない、うちの主人がこんなことを言います。
「人は、誰かが思い出している限り死なないんだ」って。
だとすれば、母は、まだ生きているのです。
私が若かったときよりも、ずっと鮮明に、私の心の中で生きています。
人に優しくしなさい。人を裏切らないようにしなさい。
弱い人を助けなさい。彼女が教えてくれたことは、私の中で生きています。
その通りにできているかどうかは別にしても。
★
私は自分の娘達に何を残してあげられるのでしょうか。
心配です。
でも、お母さん。
私を産んでくれてありがとう。
本当にありがとう。
真理子さん、ブログ更新していないので心配していましたって。
それ嬉しいですよね。こんな私のブログを読んでくださっているって。
といういう皆様、ありがとうございます。
実は、先週から二度もクインズランドを行ったり来たり。
かなり忙しくしていました。
日本を行ったり来たりするよりは
ずっとラクなのに、何だかオーストラリアの家にいて
仕事をしていると、時間がゆっくり流れてしまって。
本当はこういう時間も私の人生には必要だったのに。
動いていないと罪悪感。
★
さて、先週こんなニュースを読みました。
英国のエイドワーカーである、医師がパキスタンで
誘拐されて、首を跳ねられて殺されたニュースです。
The murder of a British aid worker
whose body was found dumped in an orchard
in Pakistan has been condemned by the Prime Minister
as a “shocking and merciless act”.
Khalil Dale, 60, was kidnapped at gunpoint
in January while working with the International
Committee of the Red Cross (ICRC) in Baluchistan province.
★
彼は彼の一生のほとんどをエイドワーカーとして働いていたようです。
それが、誘拐され、恐らく拷問もされたのだと思いますが、
挙句の果てに殺されてしまった。
このニュースが出張の間もずっと頭を離れませんでした。
この人の人生の意味です。Meaning of life!
これだけ世界の底辺の人の救援に従事し、
人のために力を貸してきた素晴らしい人。、
が、こんな無残な最期を遂げてしまった。
私は、この医師の人生について、頭の中で考え続けていました。
★
恐らくこのような人生の終わり方をしたのは、彼にとっては
遺憾で、想定外だったのかも知れません。
では、どんな人生の終わり方をすれば、彼にとっては良かったのでしょうか。
などと考えてしまいました。
そして、思いました。
...............
彼のような人は、きっと、こういうことがあるかもしれないということを
想像していたのではないかと思ったのです。
でも、自分の信念を貫いた。信念のために生きた。
お金や地位や、楽な生活が、彼の求めたLifeではなかった。
彼の Meaning of lifeは、社会のために尽くすこと。
そうしたいと思う自分に忠実に生きること。
だから、どんな死に方をしたとしても、それが問題なのではなく、
彼が生きた間に何をしたか。何を考えて生きていたのか。
それが重要なのではないのかと、
考えました。
★
もし、そうでなかったとしたら、
人生というものの意味がない。
あれだけ人に尽くした人が、あんな無残な殺され方をするなんて。
私はそう思いました。
思った途端に、ちょっとだけ光が見えました。
死に方ではなく、
そこに至るまでの道のりが大切なのだと。
..................
そして、私たちの一人一人は、その道のりに
立っているのだと。いつも。誰もが。
★
と、私が考えていたら、
こんな言葉を見つけました。
“Life has no meaning.
Each of us has meaning and we bring it to life.
It is a waste to be asking the question
when you are the answer.”
― Joseph Campbell
人生というものには意味がない。
我々のそれぞれに意味があって、その意味を我々は、自分の人生で実現するのだ。
だから、人生の意味って何なのかと問い続けるのは意味がない。
私たち自身が、その答えなのだから。
ジョセフ・キャンベル
昨日、クインズランド出張を終えて
シドニーに戻りました。
クインズランド、ブリスベンに住むVICKI BENNETTの
ワークショップを受けに、日本から美江さんがいらしからです。
私は、長い間、VICKI BENNETTの本のエージェントをしていて、
日本で、既に5冊の本を出しています。
しかし、彼女のメッセージは、どうしても、現実として伝えることが
必要だと思っていました。つまり、誰かが、理想的には
VICKI自身が彼女のメッセージを伝えることが必要だと
思っていたのです。しかし、英語の壁、国の壁があり、
なかなか実現しませんでした。
それを、何とかしようと思っていたときに、美江さんに会いました。
美江さんは、早速、オーストラリアにやってきました。
この話はまたいずれ、お話したいと思います。
★
さて、昨晩のこと。
ゴールドコースト空港で、
非常に複雑な人種どうしの
交錯がありました。
それは、オーストラリアではよくあることで、
1つの家に、様々な人種が交錯しているからです。
うちの家族も、主人の一番上の姉が英国生まれのオーストラリア人。
二番目が、イタリア生まれのオーストラリア人。三番目の主人が
私、日本人と。そして主人の弟がオランダ生まれのオーストラリア人と
結婚しています。こういうことはよくあることです。
★
でも、昨夜は、少しテンション(緊張のある形で)として
起こりました。
まず、出発時間が近づいていました。
私は、そばに立っていた白人の女性に
「飛行機は遅れるのですかね」と聞きました。
普通は、にっこりと笑顔が戻ってくるのに、
昨夜は、非常に冷たい声で「べッグユアパードン?(
なんですか)」と返ってきました。つまり、あんたの英語が
分からないわよ。何よ。という感じでした。
そこで、私は、正しい?英語でもう一度聞きました。
と、彼女は、「さあねえ。わからないわ。きっとそうでしょう」と
いい加減に答えました。あら、なんだろうと思いました。
オーストラリア人は普通、大変親切なのに。
★
と、人々が並び始めました。
私も並びました。
私が並ぶと、
ぞろぞろと、中国人の女性達が
並び始めました。大きな声を出して
中国語で喋り捲っています。つまり、まくっていました。
それだけではなく、私の後ろから押すのです。
平気です。
そこで、私は振り返っていいました。
「すみませんが、押さないでください」
分かったのか分からなかったのか分かりません。
彼女は押すのを止めました。
列の間を人々が「エクスキューズミー」と言って
通っていくので、私は、隙間を開けました。
中国人がまた押してきます。
と、先の白人の女性が、
私たち?に向かって「ここは通路だから空けるように」と
言いました。私は下がりました。すぐ後ろにいる
中国人は押し返します。
と、中国人の何人かが、
私の顔をみて、「こいつは、馬鹿だ。変な奴だ」と
言っているように、へんな顔を作って、私をあざ笑うのです。
.................
と、今度は、アラブ人のような男性が、通ります。
そして、私に「エクスキューズミ。中国人の馬鹿もの」と
言って通り過ぎました。私は、立ちすくみました。
追いかけて、何か言ってあげようとしましたが、
止めました。
★
そのうち、搭乗時間が来て飛行機にのりましたが、
あの中国人のグループと一緒になりませんように、
ひたすら祈っていました。
席に座りました。
と、アジア人がきます。中国人?
どきっ。
と、その女性は英語で「すみませんが、そちらの席に
行ってもいいですか」と丁寧に聞いてきました。
「もちろんです、今席を立ちますから」と英語で答えました。
この中国人は、香港の中国人だろうか。台湾だろうかと
考えました。彼らは、メインランドの中国人を差別している
節があるのです。彼らはマナを知らない人たちだといって
いるのも何度も聞いたことがあります。
★
飛行機を降りました。
と、さっきまで私の傍に座っていた女性が、
友人の女性と日本語で話しています。
あっ。
彼女は日本人だったのだ。だから、マナーがよかったんだ。
★
私は、20年ぐらい前に、お行儀の悪い日本人観光客をやビジターに
会ったことがあります。とても恥ずかしかった。
だから、中国人を非難できないと思ってきました。
でも、今回は、彼らがとても嫌だった。
この前、メルボルンに行ったときにも、
「ここは、カフェです。公衆のトイレではありません」と
書いていあるところに、多くの中国人観光客が
詰め掛けていました。
彼らは、そのカフェの客ではありません。また、水の少ないところなので、
トイレに紙を捨てずに、そばにある入れ物にいれてくださいと
ありました。私は、トイレから出てきて、
長蛇の列を作っている中国人観光客に、
「紙は捨てないのですよ。分かりますか?」と言ったら、
彼らは、ポカーンとした顔をしていました。
余計なことを言ったのでしょうか。
★
私は人種差別が大嫌いでした。
お婆ちゃんが、私の座り方が悪かったときに、
朝鮮人のようだといったことばが大嫌いでした。
私は自分が人種差別主義者ではないと思ってきました。
しかし、昨日の晩の出来事は、私を、一瞬、人種差別主義者に
しました。
願わくば、私が継続的な人種差別主義者になりませんように。
中国の人たちがもっとマナーを守り、世界の人たちから
もっとリスペクトされますように。
★
私はオーストラリアに30年近くいますが、このような嫌な
経験をしたことがありません。あったのは、一度だけ。
公園で、お前達アジア人はここには必要ないといわれましたが、
それがスペイン語だったので笑いました。私はスペイン語がわかり、
彼らは南米から来たのだと分かったからでした。
堂本さんとは、和歌山の観音山フルーツガーデンで、出会いました。
フルーツガーデンの中のスカイガーデンで。
この日は、観音山5代目の児玉さんに、バーベキューと
音楽会を私のためにご用意いただき、その楽しい会で
私は堂本さんに出会いました。
★
彼は、72歳。25歳のときに全盲になったのだといいます。
いえ、それは、後で、お聞きしたのですが。
「僕は、死ぬまで一度オーストラリアに行ってみたい」
「えっ、そんなにお若いのに。死ぬまでだなんて」
「いえ、僕はもう72歳ですよ」
「そうですか。40歳にしか見えませんね」
「ぜひ、オーストラリアにきてください」
といいながら、一体彼に何を見せてあげたらいいのだろう。
一瞬、不安が頭をよぎりました。
が、いい加減が私の売り物。
大丈夫だ。必ず、彼に喜んで貰えることができる。
と思ったのでした。

★
それから、すぐ、観音山フルーツガーデンの
児玉さんが、4月にオーストラリアに来ることになりました。
というか、私が決めたというのが正しい。
「オーストラリアに来てください」
「はい、いつ行ったらいいですか」
「そうですね。4月でしょうか」
なぜなら、4月には、シドニーで農業ショーがあるから。
というわけで、児玉さんが来ることになりました。
そして、堂本さんも来ることになりました。
★
このグループには、フルーツアートクリエーターの方々も
同行することになり、
どうしたら、全員の方々に喜んでいただけるツアーになるのか。
やはり心配でした。
検索したり、電話したり。
いつものように、日程が決定したのは、
最後の最後でした。私の試験はいつも
こんな感じです。原稿もそうです。
最後になるまで決まらない。
★
堂本さんには、色々なことに挑戦してもらいました。
お年寄りだけが集まるジャズクラブで、
ダンスをさせちゃいました。
植物に触ってもらいました。
オーストラリアには、バスキング
(大道で芸をしている人たち)をしている人が一杯いて、
ビーチでも、町の中でも
音楽を聴くことができました。
小鳥の声。潮騒。潮風。フィッシュ&チップス。
珍しい果物。おしゃべり。バスに電車。子供の声。
草の上に寝転んでもらったり、ひいては
走らせちゃいました。堂本さん、急いで急いで。
★
堂本さんの弾くハーモニカにオーストラリアの人たちは
聴き入りました。涙を流している人たちもいました。
堂本さんが、最後の夜にいいました。
僕に一言言わせてください。
「僕は目が見えなくなり、僕の人生には
いいことがなかった。今日までは」
って、涙を流して言われたときには、
私も涙が出ました。
堂本さんのめがねの奥から
涙が滝のように流れてきました。
彼が一番好きな曲は、ブラームスの子守唄だといいました。
★
出発前、私は、私が役員をする
ディンゴ基金に皆を連れていきました。
ディンゴは狼と犬の中間に存在する動物です。
農民に、害獣と嫌われ、今ではほとんど
純粋のディンゴが消滅しつつあります。
私は、そのディンゴを助けるこの団体に属しています。
負け犬。私がそうです。
このディンゴが、堂本さんがハーモニカを弾くと、
いっせいに歌いだしました。
あたりには、ディンゴの遠吠えが響き渡りました。
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